S017日清交戰朝鮮成観役分捕品ノ圖 内務省検閲済
明治二十七年九月 日印刷
同年仝月 日発行
臨写印刷兼発行者 片田長治郎 東京市浅草区茅町一丁目二番地
右図 大籏、軍人被服、破烈弾、大砲弾、号令籏、巡視籏、軍服、軍帽、鎗、勲章袋、陣太鼓
中図 練軍籏、指令籏、火箭、ドラ、朝鮮官奴ノ上衣、、火箭、軍籏、指令籏、号令籏
欽命 直隷軍門総督琿巴圖定
左図 喇叭、軍畧圖、軍籏、大砲、軍帽、西洋式太鼓
七月廿七日夜朝鮮國成観牙山に清軍を敗る 清兵軍器を棄てて敗走し我軍分捕品山の如く大勝を得たり 成観役に分捕したる品なりとて今度参謀本部に到着ありしを毎品説明書を附し本月十一日ヨリ廿四日迄東京九段坂上なる靖國神社の前舎に陳列し普く世人の観覧を許せり 余が一見の侭其概略を圖し説明を附す 一覧して清兵の軍備の奈何を知り我軍の全勝たる戦況を看るの感あり
品目
清兵の軍服 六領 上衣下衣の二種
軍帽 六個 黒羅紗を以て製し頂上に紅絹の組紐を装飾したるあり又美麗に造り頭上に水晶の珠を載せ碧玉の管を附け孔雀の羽毛を指したるハ佐官位の帽なりと孔雀の羽毛ハ勲章にして華翎(かれい)と称し袋ハ革にて製し赤ペンキを塗り金粉を以て種々の模様を画き左右に紐を附携帯の便となせり
朝鮮官妓の上着 一個 圖の如く美麗にはあらず
大小軍籏 五十余旒 大なるは一丈有余にして四方三角形にて龍を画き又赤天竺金巾に蘇葉魏馮李等の文字を白く縫附し物数旒あり 小籏も数多く有て絹布の類以て製り一二文字を縫着たるあり白金巾に墨書したるありて種々なり
陣太鼓 二個 直経 一尺四五寸にして圖のごとし
銅鑼 四個 清軍の軍器として軍備の不整なるを知るに足るべし
喇叭 三個 細長くして舊式のものなりと云
地圖 一葉 清将が戦略の圖にて明細に書したる者なり
大砲 八門 廣島に保管ス
火箭 鎗 砲丸 ハ 是ハ陳列品にあらざれども共に分捕品なれバ添載し説明は次回に再録す
静岡県立中央図書館での分類は
このページの画像は静岡県立中央図書館のデジタルデータを利用して構成している。また、データに関しては東京大学史料編纂所錦絵データベースを参考にした。
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以前に「永島孟斎って誰?」というタイトルでブログに記したことがあるが、その内容を抜粋すると、
永島孟斎を名乗る絵師が2人いる。歌川芳虎と永島乕重は別人であるが、ともに永島孟斎を名乗ったことがある。芳虎が師匠か父兄、乕重が弟子か子弟という関係だ。芳虎は絵師として活発に活動したが、乕重は玩具絵などにとどまり、むしろ、絵師というよりは企画者として記事を書いていた。二人を呼び分けるには辰五郎孟斎と福太郎孟斎、孟斎芳虎と孟斎乕重、須田町の師匠と神田紺屋町の弟子、といった呼び方。
西南戦争錦絵でこれまで紹介してきた作品の中に永島孟斎作品は12作品あるが、すべて、歌川芳虎つまり辰五郎孟斎芳虎(須田町の師匠)の作品であり、中に数点、弟子の福太郎孟斎乕重が文章を添えたものがある。
早稲田大学の古典籍データベースを見ると永島福太郎が文章を書いている例が5件ある。全部、永島福太郎録・加賀吉板・永島孟斎画となっており、弟子の文章に師匠が絵をつけたようだ。師匠の作画期は弟子は孟斎を名乗っておらず、福太郎という名前で活動していた。
今回(2014/10/22)永島春暁が弟子の方の永島孟斎つまり永島福太郎孟斎乕重であることがわかったので、福太郎孟斎乕重の初見の作品ということになる。日清戦争錦絵の中でも初めての永島孟斎となる。そして、やはり錦絵というよりは百科事典のような一覧図であった。やはり、乕重は絵師というよりは、企画者としての色彩が濃厚なようだ。