2016年
8月
14日
日
函館市中央図書館蔵『H013日本海軍大勝利鴨緑江口海戰』を追加した。
鴨緑江口海戦とは黄海海戦のことで、ここに描かれているような敵前上陸はなかったと思われるが、近景に人物のほしい絵師が想像をたくましくしたものだろう。
この作品は江戸東京博物館に3枚の異版が収蔵されており、インターネットで画像を見ることができる。こちらからどうぞ。
2016年
8月
10日
水
進斎年光の作品。この福島年光という絵師のことを調べて、はっきりしないまま半年あまりたってしまった。そのうちまとめてみたい。
『H009晩秋夜大激戦図九連城総攻撃』(函館市中央図書館による仮題)
清親の得意な夜景だが、タイトルが間違っている。大英図書館に異版が有り、そこで『金州城落城之圖』というタイトルが確認できる。
北京の中央紫禁城の裏山景山を描いた図。戦争錦絵といえるのかどうか微妙なところだが。
『H011我兵鴨緑江を渡る図』(函館市中央図書館による仮題)
田口米作による作品。タイトルは多分間違っているが、さて、本当はなんなのかが追いきれていない作品。
国会図書館と大英図書館に異版がある作品。
2016年
2月
02日
火
西南戦争錦絵美術館にスミソニアン博物館蔵『FS003征討御會議之圖』を追加した。英語タイトルは『FS003Meeting on Subjugation [of Rebels in Kyushu]』である。明治天皇を名指ししない配慮の上画面に書き込んでいる。中図の右上の人物であるが、この人物だけ身分・役職と名前の表記がない。
2016年
1月
21日
木
「H007我将校軍議ヲ開キ鳳凰城ヲ破ル」を追加した。前線の戦闘を窺いながら軍議を行う将校たちの図である。
前線で指揮をとるのが立見少将。後方で見るのが佐藤大佐、武田中佐は振り返って気にしている。馬上の福島中佐も双眼鏡で戦況を窺っている。卓上の地図を囲んで軍議に当たっているのが桂中将と大島少将、山縣大将、野津中将という構図である。鳳凰城を攻撃した第五師団は師団長野津道貫で第9旅団と第10旅団で構成されていた。第9旅団は大島義昌少将が旅団長で、広島の第11連隊(西島中佐)と浜田の第21連隊(武田中佐、11月に大佐に昇進)からなる。また、第10旅団は立見尚文少将が旅団長で、丸亀の第12連隊(友安大佐)、松山の第22連隊(富岡大佐)で編成されていた。
このことから、この画での視界内に登場していいのは、以下の人物だけとなる。
また、清国側の大将宋慶は穀軍の統領で九連城で葉志超に変わって指揮をとっていたが、10月26日に日本軍が無血入城した。次の目標である鳳凰城も10月29日の攻撃時には城から火の手が上がっており、清兵は撤退した後であった。その後、旅順陥落後(11月22日)は営口防衛に当たっていたとのことなので、12月1日からの第三師団(桂中将)の海城攻撃を防衛していたようだ。この画の時点で鳳凰城から退却していたのであれば、この画でこそ敵将が逃げる姿を描くべきであったろう。
右図:大将宋慶、立見少将(◯)
中図:佐藤大佐(豊橋の18連隊長平壌→海城→牛荘か)、武田中佐(◯)
左図:桂中将(第3師団長平壌→大孤山→海城→牛荘か)、福島中佐(第一軍参謀)、大島少将(◯)、山縣大将(第一軍司令官)、野津中将(◯)
◯をつけた、4名のみが、現場に登場していいわけだが、戦闘がなかった戦い(変な表現だが)ということなので、この画題自体がそもそも史実とはかけ離れたものである。これこそが日清戦争錦絵の最大の特徴であるといっていい。
2016年
1月
17日
日
函館市中央図書館蔵「H005連勝倭魄輝天下我軍鳳凰城破」を追加した。タイトル検索でも画像検索でもヒットしなかった。貴重な1枚と言えるだろう。
「れんしょう やまとだましいてんかにかがやき わがぐんほうおうじょうをやぶる」と読むのだろう。
函館市中央図書館蔵「H006神國名誉奇談」を追加した。023神國名誉奇談(国立国会図書館蔵)をはじめとして、大英図書館、オークションサイトなど、多くの異版が存在している。
2016年
1月
16日
土
「H004清軍之将葉志超朝鮮官妓携敗走之図」を追加した。平壌の守りの総司令官が、城を捨てて配送する場面を描いたものだが、近代戦の現実とはかけ離れたもののようだ。同じ右田年英の作品「H002掩撃鏖殺平壌略取の図」6枚続の内、この美術館に収録していない左側三枚に同じ主題の葉志超将軍の平壌からの敗走が描かれている。こちらでは馬上で戦闘しながらの敗走である。清国軍の色鮮やかな軍服や、落ち延びていく美人というのは、リアルというよりは絵師が描きたい、また、描きやすいテーマだったのではないだろうか。
2016年
1月
15日
金
「H002掩撃鏖殺平壌略取の図」えんげきおうさつ へいじょうりゃくしゅのず
を追加した。掩撃えんげきとは小部隊で敵を急に襲うこと、不意打ちのことであり、鏖殺おうさつとは皆殺しにすることである。
画像検索をすると、ディーラーに3点(The Art of Japanに1点、原書房に2点)オークションハウス(Asian Collection Internet Auction)に1点、メトロポリタン美術館に1点、オーストリア応用美術博物館に1点、の合計6点がヒットした。最初の4点は販売品であり、現在の所属は不明だが、画像だけは残っているので、Ukiyo-e Search にて見ることができる。
http://ukiyo-e.org/image/met/DP146888
このうちThe Art of Japanとメトロポリタン美術館の作品は六枚続であり、The Art of Japanによると海戦ではなく陸戦では珍しい六枚続だとの解説がある。
メトロポリタンのオンラインコレクションで見ると以下の通り。
http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/55121
「向處無敵 平壌陥落」
There Stands No Enemy Where We Go: Surrender of Pyongyang from a series on the Sino-Japanese War (Mukau tokoro tekinashi: Heijō kanraku)
Artist: Migita Toshihide (Japanese, 1863–1925)
Period: Meiji period (1868–1912)
Date: Meiji 27 (1894)
Culture: Japan
Medium: Set of six polychrome woodblock prints; ink and color on paper
Dimensions: Image (each): 13 1/2 × 9 1/8 in. (34.3 × 23.2 cm)
Classification: Prints
Credit Line: Gift of Lincoln Kirstein, 1959
Accession Number: JP3177a–f
このようにタイトル部分に未詳の解説がある。
函館市中央図書館の右図と中図の間の空白は、それぞれの図がトリミングされている。異版で欠落部分を見ることができる。トリミング状態は、メトロポリタン美術館所蔵品が一番欠落が少ない。
英語タイトルはまちまちだが、オーストリア応用美術博物館のものが良さそうだ。メトロポリタン美術館のシリーズタイトル「向處無敵 平壌陥落」は不詳。
それぞれのタイトルは以下の通りである。
The Art of Japan(ディーラー): Battle of Heijo (Pyongyang)
原書房(ディーラー):A scene of Sino-Japan war, triptych, 1894
Asian Collection Internet Auction(オークションハウス):Battle of HEIJO (Pyongyang)
メトロポリタン美術館:右側Collapse and Subjugation 左側Subjugation and Seizure シリーズタイトルThere Stands No Enemy Where We Go: Surrender of Pyongyang from a series on the Sino-Japanese War (Mukau tokoro tekinashi: Heijō kanraku)
※シリーズタイトルは未確認。
オーストリア応用美術博物館:Occupation of Pyöngyang
2016年
1月
03日
日
函館市中央図書館蔵「H001朝鮮平壌日本大勝利之圖」を追加した。「066朝鮮平壌日本大勝利之圖」の異版である。また、ウェブ上のバブリックドメイン美術館にも収録があった。下図を参照ください。