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January 2015

2015年

1月

31日

広島に大本営設置

図は「S030大元師陛下新橋御發輦ノ圖」の中の明治天皇の肖像(拡大図)
図は「S030大元師陛下新橋御發輦ノ圖」の中の明治天皇の肖像(拡大図)

 静岡県立中央図書館蔵の2作品を追加した。「S029成歓之駅ニ於テ松﨑大尉勇戰ノ圖」と「S030大元師陛下新橋御發輦ノ圖」である。後者には大本営に向けて移動をはじめた明治天皇が描かれており、興味深い。

 新橋駅は東京駅が開業する1914年まで東海道線の起点であり、鉄道は日清戦争開戦のわずか一月前に広島まで延伸していた。日清戦争の開戦直後に大本営が広島に設置され、明治天皇は9月13日に皇居から新橋に向かい鉄道で広島に移動した。表題の画はこの日のものである。大本営・広島には15日に到着したが、その日に平壌の戦い、翌々日の9月17日には黄海海戦と戦争の行方を決定づけるかのような大きな戦いが行われた。一方東海道・山陽の各駅では天皇を迎える行事がにぎやかに執り行なわれ、9月15日付朝日新聞には「鳳輦(ほうれん)大津御通過 十四日午後二時大津特発 大元帥陛下午後一時二十七分馬場停車場[ステーション](現在の膳所駅)に御安着五分間御停車の上御発車あらせらる奉迎の官民山を為し何れも陛下の萬歳を唱へ又毎戸国旗を掲げ二十一発の花火を打揚て祝意を表せり」と歓迎の様子が報告された。他にも名古屋・岐阜・京都・大阪・神戸での詳報が掲載されている。

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2015年

1月

28日

静岡県立中央図書館蔵「S028清軍敗走軍器分捕之圖」を追加した。

 国立国会図書館蔵051の異刷である。特に大きな違いはない。先月紹介した、静岡県立中央図書館蔵の「S026日本帝國陸軍牙山全勝凱旋之圖」と同じく酒樽を初めとした俵形の祝勝品や戦利品が多く描かれている。出版の日時を見るとおそらく牙山・成歓の戦いの画であるが、この時にはこのような戦利品はのぞめなかったのではないだろうか。というのも、「S017日清交戰朝鮮成観役分捕品ノ圖」に詳細に書かれている報告がリアリティを持っているように見えるからだ。敗走する時には不要な物や持っていきにくい物が残され、食料や最小限の武器などは持って逃げたと考えるのが自然であろう。

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2015年

1月

13日

スミソニアン博物館

 スミソニアン博物館が所蔵する作品のデジタルデータの公開を始めた。4万点以上の作品・資料があり、私的な目的であればダウンロードや再利用が可能という、とんでもない英断である。さっそく検索してみたところ、日清戦争錦絵関連でも50点以上はありそうな感じでわくわくしている。もともと遅いホームページ制作が、ますます遅れそうな感じだが、この快挙に反応すべく、さっそくスミソニアンのページを追加しなくてはと思っている。まずは、4点発見できた西南戦争錦絵から始めるつもり。

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2015年

1月

02日

「S026日本帝國陸軍牙山全勝凱旋之圖」を追加

 静岡県立中央図書館蔵「日本帝國陸軍牙山全勝凱旋之圖」を追加した。


 日清戦争開戦直前である八月中の牙山の戦いに勝利した日本軍の様子を描いているが、実際はこのように優雅なものではなかったようだ。ぬかるんだ陸路での補給は困難をきわめたし、緒戦の豊島沖海戦で勝利したものの清国の北洋艦隊の脅威は健在で制海権を確保していない連合艦隊は海上補給にも不安を抱えていた。この後平壌に追撃戦を行うが、補給の不足は武器・弾薬、医薬品や食料に及び本当にぎりぎりの戦いが続いていたようだ。当時は補給の概念がそれほど重視されず、戦利品をうまく利用することが、求められていたようだが、敗走する敵も食料は手放さなかったようだ。


 桃太郎のように敵から奪い取った戦利品を積み上げて、分捕り品として、並べる図柄は日清戦争錦絵の中に多数見られる。この絵でも右側に清国軍からのの分捕り品、銃や剣や矛や米や軍旗などが描かれ、左側には戦勝を祝う酒樽が大量に描かれている。日清戦争は近代戦への過渡期をちょうど今、移行している最中だが、表現の方は少し遅れて、未だのどかな前近代から抜け出していないようだ。


 尚、現首相・安倍晋三は大島義昌の玄孫(やしゃご・孫の孫)である。

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2015年

1月

01日

「S025平壌大激戰之圖」を追加

静岡県立中央図書館蔵「S025平壌大激戰之圖」を追加した。楊斎延一はすでにこの美術館では25作も紹介しているが、日清戦争錦絵を代表する絵師と言ってよいだろう。


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