2015年
12月
20日
日
右田年英作「S055威海衛陥落北洋艦隊提督丁汝昌降伏ノ圖」(静岡県立中央図書館蔵)を追加した。清国海軍の顧問武官である西洋人の姿も見える。
国立国会図書館、野田市立図書館、フィラデルフィア美術館などに異版があり、いずれも、ウェブ上で見ることができる。
静岡県立中央図書館の日清戦争錦絵はこれですべてとなる。全55作品がリストアップされたが、この後は、少し間をおいて、日露戦争錦絵をご紹介していこうと思う。
2015年
12月
14日
月
函館市中央図書館所蔵の戦争錦絵の使用許可を得たので、順次公開していく。
日清戦争錦絵115点(2枚の壬午事変作品と1枚の明治24年の二重橋を画題とした
作品を参考作品として含めた。)
北清事変錦絵2点
日露戦争錦絵52点
合計169点である。下に日清戦争錦絵のみの作品リストをお示しする。
タイトルに付加したHは函館のHで、作品順は函館市の整理番号順とした。
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2015年
11月
18日
水
尾形月耕作「S053征淸美談名譽鑑 小野口徳次」を追加した。発行者情報の一部が失われているが、「043 日清兵於牙山戰争ノ圖」「074 平壌大激戰之圖」そして、次に紹介する「S054征淸美談名譽鑑 竹内少尉」の住所の情報から、横山良八で間違い無いだろう。
英文のタイトルが付いており、Onoguchi Tokuji Biowing up the Gate at Kinshu(chin-chou).とある。
Biowingは多分Blowingだろう。
小野口徳治は、白神源次郎・木口小平・川崎伊勢雄・原田重吉などと同じく、日清戦争でその武勇を賞賛された代表的な人物の一人である。1894年11月6日の金州城攻略を描いた錦絵は、他に
「098金州城撃戦」安達吟光
がある。
2015年
11月
03日
火
静岡県立中央図書館蔵「S052請和使談判之圖」を追加した。この絵の異版が函館市中央図書館に保存されている。静岡県立中央図書館所蔵の日清戦争錦絵はそろそろ先が見えて来たので、次は函館市中央図書館蔵の100点以上と思われる日清戦争錦絵を紹介していく予定である。平行して、日露戦争錦絵をどのように展開するかを考慮中。
2015年
9月
18日
金
「S050金州城占領之圖」「S051大元師陛下凱旋御着京圖(ママ 元師は正しくは元帥である)」の2作品を追加した。
後者は常備第二大隊旗(赤黒の波線の旗)を掲げる第二大隊を従え明治天皇が凱旋している様子を描いた図である。白赤の三角形の旗は不明。明治28年に発行された「新体軍人用文」によると下に示す図の様に各種の旗が紹介してある。単色の印刷なので分かりにくいが、常備第二大隊旗は上の波線が赤、下の波線が黒である。後備第二大隊旗の場合は上下の色が逆になっているようだ。
S049と同じ画題であるが、S049で将校が掲げている天皇旗は現在の天皇旗と同じ様なデザインで、「新体軍人用文」の挿絵の旗とは違うようである。複数のデザインがあったのだろうか?
2015年
9月
09日
水
「S049大元帥陛下御着奉迎門之圖」を追加した。天皇旗を掲げた馬上の将校に先導されている天皇の馬車。馬車の中に明治天皇がはっきりと描かれている。
2015年
8月
26日
水
静岡県立中央図書館所蔵「S048清國旅順港圖」を追加した。
左図の水平線上に朝鮮義刕(州)とあり朝鮮半島が見えていることになるが、地理的な位置関係がおかしい。さらに距離的には伊勢の二見浦から富士山を見るより遥かに遠い様で現実的な絵柄とはいえないだろう。
右図にある大迫少将とは大迫 尚敏(おおさこ なおはる 1844-1927)のことで薩摩出身の陸軍軍人である。戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争と従軍し、最終階級は陸軍大将。弟に大迫尚道陸軍大将がいる。
出生地の鹿児島市冷水町に兄弟の生誕記念碑がある。碑文には「陸軍大将 子爵 大迫尚敏 陸軍大将 大迫尚道 誕生地記念碑 陸軍大将 菱刈隆 書 昭和十二年六月有志者建之」とある。
2015年
8月
13日
木
香朝楼 画 「S047日新撰想擬の朝鮮」
画中に38人の実在の役者名が記載してあるので、おそらくは歌舞伎の外題であろう。團十郎、菊五郎、左團次をはじめとするオールスターが登場している。背景の軍艦には当時の劇場8座の名が冠されている。実際に上演されたのかどうかは未確認である。
2015年
7月
25日
土
静岡県立中央図書館所蔵作品「S046我艦隊清艦を捕獲する圖」を追加した。異版が国立国会図書館に収蔵されている。「010我艦隊清艦を捕獲する圖」である。
函館市中央図書館より提供を受けた100点以上の戦争錦絵を現在整理中。近々ご紹介していきたい。
2015年
7月
11日
土
静岡県立中央図書館所蔵作品「S045我陸軍工兵大同江ニ舩橋ヲ造リ敵ノ對岸ニ至ル日本兵大勝利之圖」を追加した。この作品は、国立国会図書館の「061」の異版である。
2015年
6月
23日
火
左側に作られた凱旋門の中で出迎える朝鮮の政治家は國王使・李允用、機務處員 鄭敬源とある。
李允用(1854~1939)は李氏朝鮮末期の親日派の政治家。李完用の兄。
鄭敬源(ジョンギョンウォン 1851〜1898)は 李氏朝鮮末期の中央官僚で東学党の乱が勃発すると湖西宣撫使となる。甲午改革で軍國機務處の会議員に選出され、続いて金弘集内閣の法務協辦となった。「峽遊日記」の著作が有る。
参考 「大河の釣り人」http://www.geocities.jp/nkks437758/kn_b4.html#danshaku4
http://www.dbpia.co.kr/Journal/ArticleDetail/3229504
http://www.yuniljung.com/man/kyungwon.htm#요약
また、鄭敬源に関して、明治27年(1894) 9月 10日付けの大阪毎日新聞には
9月10日
韓廷復た宣撫使を派遣す 曩きに東學黨宣撫使
として忠淸道に派遣せられたる學務協辨鄭敬源は
未だ歸京する能はざる由なるが東學黨蜂起の傾向
あるは獨り忠淸道のみに止まらず全羅、慶尙の兩
道にも續續發生せんとするの形勢あるより朝鮮政
府は鄭敬源一人にて行屆かざるべきを察し更らに
慶尙道の宣撫使として議政府都憲李重夏を差遣す
ることとなりたり右に就き議政府が國王殿下に上奏
せしものを見るに
湖西(忠淸道を云ふ)宣撫使鄭敬源、向以三南(忠
淸、全羅、慶尙の三道を云ふ)兼差、而見今事勢
有難兼行三道、更以兩湖(忠淸、全羅を云ふ)宣
撫使改付標、嶺南(慶尙道を云ふ)宣撫使、別
以都憲李重夏差下、使之馳往、宣布朝廷德意、
仍察吏鄕贓否民生疾苦、一體登聞事分付何如
卽ち向きに派遣せし宣撫使鄭敬源は忠淸、全羅、
慶尙の三道の宣撫使を兼行する筈なりしも今回改
めて忠淸、全羅兩道のみの宣撫使とし慶尙道には
別に李重夏を以て宣撫使として差遣することを上
奏せしなり然るに國王殿下は傳して曰く
當下綸音矣
此綸音とは卽はち詔勅を云ふなり李重夏は該綸音
を奉じて將に慶尙道に派遣せらるべしと云ふ
とある。
http://www.e-donghak.go.kr/sa/listDetSa.jsp?pLevel=3&pDatabaseID=prd_0137&pRecordID=prd_0137_071 より引用
2015年
6月
15日
月
1894年7月29日の戦いを画題にした錦絵である。宣戦布告が8月1日なので、4日前の7月25日の豊島沖海戦と最初の陸戦である成歓の戦いを機に日清戦争が始まったと言っていいだろう。指揮をとる大嶋少将の五代目の子孫に現総理大臣安倍晋三がいる。
2015年
6月
05日
金
大英図書館に異版が所蔵されている。大きな違いは無いが、色味の違いがあった。特筆すべきは左図欄外にあった出版情報で、静岡県立中央図書館版ではトリミングされ欠落している情報が残っていた。
明治廿七年十月 日印刷
仝年十月 日発行
臨写印刷兼発行者 古橋新之助 日本橋区両國元柳町一番地
次の戦果を待ち構えて準備怠りない版元の商魂が垣間見えるような日付でもある。
比較した色の感じは以下の通りである。
2015年
6月
04日
木
「S040大日本大勝利九連城没落之圖」静岡県立中央図書館蔵を追加した。
絵師は延重とサインがあるがどのような人物だったか詳細は不明である。延の文字からすると、周延の門人かもしれない。版元の情報は絵師のサインの下にあるバレンのデザインの中に書かれている。御届印が無いので発行年月日が不明だが、九連城の戦いは1894年10月26日なので1894年の11月から翌年の頭にかけての作品と考えられる。鴨緑江をわたって、初めて中国本土に侵攻・占領した戦いである。
2015年
5月
06日
水
4種類目の異版となる。
「098鹿児嶋暴徒追討記 〔田原坂の戦〕」国立国会図書館蔵
「B006鹿児嶋暴徒追討記」大英博物館蔵
「S057鹿児嶋暴徒追討記」静岡県立中央図書館蔵
に続く「FS002鹿児嶋暴徒追討記」スミソニアン博物館蔵である。
4種類を比較してみると以上のようになるが、コントラストの強弱や発色の違いは、デジタル化の過程と保存状態によるところが大きいようなので、轉々堂主人印の有無と題箋の色に注目するなら、スミソニアン博物館蔵が初刷りに近いものかもしれない。
2015年
5月
04日
月
今回追加した「S039成歓駅日本大勝利之図」は静岡県立中央図書館では「日清両軍大河にての交戦図」と仮称されており、三枚続きのうち左図のみがコレクションされている作品である。大英図書館に異版が収蔵されていて、その全体図を見ることができる。そこから、画像情報や、記事を補足してページを構成することができた。
2015年
5月
02日
土
李氏朝鮮の開明派・金玉均の暗殺をテーマにした作品を追加した。黒々とした暗雲の中に厳しい表情を浮かべる金玉均が描かれている。志半ばで倒れた恨みと、朝鮮の現状と未来を憂える政治家の姿が印象的だ。
2015年
4月
30日
木
国立国会図書館蔵インターネット非公開作品は全部で47点あるのだが、そのうち進斎年光の作品は以下の5点がタイトルのみ判明している。
「我大斥候清軍ヲ撃破ス」
「我軍平壌ヲ陥ル之図」
「平壌夜戦我兵大勝利」
「九連城附近ニ清兵ヲ撃破ス」
「大孤山沖海洋島ニ日本海軍清艦ヲ撃沈ス」
年光の作品は一点もインターネットでは公開されていないので、おそらく、年光自身の著作権確認ができていない為に非公開になっているのでであろうと考えられる。
今回静岡県立中央図書館から追加した「S037九連城附近ニ清兵ヲ激破ス」は画像情報の比較からしても、まず、国会図書館の非公開作の異刷であることは間違いないだろう。国会図書館に公開を呼びかけることはできないものだろうか?
2015年
4月
22日
水
「S036牙山ニ於日本兵旗取之圖」を追加した。この作品は大英図書館に異刷がある。だがしかし、実はタイトルがかわっている。牙山から平壌へと約1月半の後の刷になる。驚くべき商魂である。御届け日は大英の解像度が低いのではっきりとは読み取れないが、全くかわっていないようでもある。タイトルだけではなく画の方も相当な変化がある。後刷りの場合、製作は既に絵師の手からは離れ、色使いには刷師の構想が強く出てくるとも言われるのでその変化なのであろう。静岡→大英の順に比較してみると、まず全体のトーンが全く違う。静岡の方は背景が前景の明るい白茶、中景の灰色の山並み、背景の明るい火炎に染まる空と三段階に変化しており、戦場全体を俯瞰するような広がりが感じられる。一方大英博物館蔵作品の方は背景は、色調の違いで三段階に分かれるものの、全体に暗いトーンで統一され、視線は全体というよりはむしろ中央の戦闘そのものに引きつけられる。その色構成に応じて個別の色彩もかなり変化している。特に大英版の方の左から右に少し斜め上がりに配置される鮮やかな紫は土地のライン、山のラインと相まってすっきりとした画面構成を演出している。さらに、中央で槍を突き上げる清兵の上着が本来陰影として描かれた部分を黄色地に赤という派手なコントラストにかえたことで、いやでも視線は中央の戦闘に引きつけられる。本来逞しい商魂から出発したにすぎなかった後刷りが、絵師の意図を離れたところで、表現の洗練を生んだという不思議な現象が起こったわけだ。さらに、大英版の兵器は暗い背景と部分的な塗り残しで、独特のリアリティを持って表現されている。後刷りがはっきりと示された貴重な一例と言えるだろう。
上にお示しした図はすべて「西南戦争錦絵」からの図である。馬上の武人が軍旗を巡って争う図は西南戦争の時に多く見られた主題である。西南戦争開戦初期に政府軍の将校であった乃木希典少佐は戦闘中に軍旗を奪われてしまう。その軍旗を取り返したのが、政府軍第2旅団参謀長野津道貫大佐ということになっている。(実際は戦後まで見つからなかったらしい。)このテーマをそっくり借りてきて、日清戦争に当てはめたのが、当ページの作品ということになる。つまり、西南戦争のテーマをそのまま借りてきて日清戦争で売り、次には、タイトルをかえて、戦勝ブームの次の波にあわせて売り切る、というような便乗商売のお手本のような作品であると言えよう。
以下リンクをお示しする。
001鹿児嶋征討記之内 高瀬口河通ノ戦争野津公聯隊旗を取返ス図
004鹿児島征討記内 熊本城ヨリ諸所戦争之図〔野津大佐軍旗を奪還す〕
B003鹿児嶋征討記之内 高瀬口河通ノ戦争野津公聯隊旗を取返ス図(001の異刷)
2015年
4月
18日
土
この絵は「S035第壱号 大日本大勝利 分捕品縦覧之圖」小国政の作品である。静岡県立中央図書館の所蔵品は中図が欠損しているが、大英図書館に完全版が収蔵されているので参考作品として掲載した。
画題は靖国神社境内に於て展示された日清戦争最初の戦いである成歓の戦いで取得された戦利品の展示の様子である。展示の光景が当時の読み物に記載されているので、転載する。主役となるのは原田重吉で9月に行われた平壌の戦いで玄武門先登第一人者として金鵄勲章を受章した英雄である。
前略 原田氏が玄武門に働きたるありさまは十一月五六の両日 靖国神社大祭の際九段坂の上に模造せられたり、こは同所なる近衛第二聯隊の考案にて場所は同営所の入口 即ち牛ヶ淵の向う蛾々たる石垣の上にして仏国公使館を正面にしたれば坂を登るもの仰いで一目その全景を見るを得たり、而してその材料は悉く兵営中の器具なる寝台(ねだい)萌黄毛布(もよぎけっと)その他工兵用のシャチ等をもってし 各兵自らの手工になれるものにて実に偉絶壮絶の観あり、例年招魂祭には競馬及び角力等の催しあれども今年はこれを遠慮したれば余興も薄かりしに原田氏の名を慕うてこれを見んため集まれるもの実に夥しかりし、かくのごとく氏の名望は高く 至る処その噂あらざるはなきほどなれば機を見るに敏き演劇家は早くもこれを脚色(しくみ)て名優の演ずるところとはなりたり、 後略
以上「抜群勇士原田重吉」 凱旋城士 編 求光閣 明27.12 からの抜粋
勝利に次ぐ勝利をしらされた人々の興奮と熱狂がよく伝わってくる。この熱狂は李鴻章襲撃の頃まで続き、その後、三国干渉を突きつけられると、逆方向に暴発していくことになる。
2015年
4月
04日
土
上記「 PC001賊魁ノ首級實検之圖」の画像は
ブログ「宮城集治監物語」
http://blogs.yahoo.co.jp/siba772000jp/509523.html
様から画像を提供していただいた。
「宮城集治監物語」はこの絵に登場する中尉安村治孝についてのブログである。安村治孝は「S039鹿児嶋電報雙雄血戰之圖」にも描かれているが、西郷隆盛の首を打ちとった英雄である。
左図に描かれる、少佐立見某君は立見尚文のことで桑名藩出身の立見は戊辰戦争では幕府軍に属していたが、西南戦争で官軍に採用され活躍する。後に日清戦争でも重要な地位を占め、陸軍大将にまで上り詰める。用兵の天才として知られる立見だが、その名は西南戦争錦絵で確固たるものになったという。
記事の詳細等はこちらからどうぞ。
2015年
3月
13日
金
大英図書館に3枚続きの完全版が保存されている。パブリックドメインとして画像が公開されているので BRITISH LIBRARY IMAGES ONLINE から画像を利用させていただいた。
今後このサイトで公開されている179点の画像も「日清戦争錦絵美術館」のなかで紹介していきたいと思っているが、大英図書館とアジア歴史資料センターの日英共同研究として、「描かれた日清戦争」というインターネット特別展示がすでに行われている。 注目すべきは清国側の絵画資料も56点展示されていることだ。さらに、この資料が蒐集されたのが、1895年であり、日清戦争とほぼ同時進行で収集されたということである。大英図書館のメッセージによると、「国際紛争を記す重要なビジュアルレコードとして認識していた」とあり、錦絵が記録画として評価されていたことがうかがえる。最初に収集に当たった大英博物館から1973年に設立された大英図書館のアジア部門に管理が委託され現在に至っている。
大英図書館での分類は以下の通りである。
大英図書館請求記号: 16126.d.2(96)
タイトル: 我兵鴨緑江ヲ越ル
絵師: 楊斎(渡辺)延一 (1872-1944)
出版元: 長谷川園吉
出版情報: 1894.10
大英博物館受入情報: 1895/06/11
内容: 黄海海戦
製作国: 日本
サイズ (cm): 76.0 x 39.7
FilenameB20106-63
Source16126.d.2.(96)
Title of WorkWaga hei Ōryokukō o koeru
Shelfmark16126.d.2.(96)
Artist/creator"Yōsai (watanabe) Nobukazu (.)"
Place and date of productionOctober, 1894
LanguageJapanese
Credit© The British Library Board
Japanese troops crossing the Yalu River.
16126.d.2.(96)
B20106-63
2015年
3月
01日
日
上図が「S029」下図が「S031」である。比べてみよう。
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項目 | S029 | S031 |
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樹木 | 緑が鮮やか | くすんでいる |
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煙 | 紫が濃い | グレーが濃い |
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馬 | 焦げ茶色 | 薄茶色 |
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火花 | 暗い・中心に陰影有り | 鮮やか・陰影なし |
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顔色 | コントラスト薄い | コントラスト強い |
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崖や水 | グレーが強い | 茶色が強い |
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以上お示ししたように馬の色と川の陰影表現のコントラストが強いことで、029の方が画面がしまって見えるが、それほど大きな違いとはいえない。最も目を引くのが背景で爆発している火の玉の表現である。029の方は陰影をつけているが、030の方は平板な花火のような火球になっている。結果として029のリアリティがまさっているように見えるのだが、これは共同作業の中の刷師の手柄と言えるのかもしれない。
2015年
1月
31日
土
静岡県立中央図書館蔵の2作品を追加した。「S029成歓之駅ニ於テ松﨑大尉勇戰ノ圖」と「S030大元師陛下新橋御發輦ノ圖」である。後者には大本営に向けて移動をはじめた明治天皇が描かれており、興味深い。
新橋駅は東京駅が開業する1914年まで東海道線の起点であり、鉄道は日清戦争開戦のわずか一月前に広島まで延伸していた。日清戦争の開戦直後に大本営が広島に設置され、明治天皇は9月13日に皇居から新橋に向かい鉄道で広島に移動した。表題の画はこの日のものである。大本営・広島には15日に到着したが、その日に平壌の戦い、翌々日の9月17日には黄海海戦と戦争の行方を決定づけるかのような大きな戦いが行われた。一方東海道・山陽の各駅では天皇を迎える行事がにぎやかに執り行なわれ、9月15日付朝日新聞には「鳳輦(ほうれん)大津御通過 十四日午後二時大津特発 大元帥陛下午後一時二十七分馬場停車場[ステーション](現在の膳所駅)に御安着五分間御停車の上御発車あらせらる奉迎の官民山を為し何れも陛下の萬歳を唱へ又毎戸国旗を掲げ二十一発の花火を打揚て祝意を表せり」と歓迎の様子が報告された。他にも名古屋・岐阜・京都・大阪・神戸での詳報が掲載されている。
2015年
1月
28日
水
国立国会図書館蔵051の異刷である。特に大きな違いはない。先月紹介した、静岡県立中央図書館蔵の「S026日本帝國陸軍牙山全勝凱旋之圖」と同じく酒樽を初めとした俵形の祝勝品や戦利品が多く描かれている。出版の日時を見るとおそらく牙山・成歓の戦いの画であるが、この時にはこのような戦利品はのぞめなかったのではないだろうか。というのも、「S017日清交戰朝鮮成観役分捕品ノ圖」に詳細に書かれている報告がリアリティを持っているように見えるからだ。敗走する時には不要な物や持っていきにくい物が残され、食料や最小限の武器などは持って逃げたと考えるのが自然であろう。
2015年
1月
13日
火
スミソニアン博物館が所蔵する作品のデジタルデータの公開を始めた。4万点以上の作品・資料があり、私的な目的であればダウンロードや再利用が可能という、とんでもない英断である。さっそく検索してみたところ、日清戦争錦絵関連でも50点以上はありそうな感じでわくわくしている。もともと遅いホームページ制作が、ますます遅れそうな感じだが、この快挙に反応すべく、さっそくスミソニアンのページを追加しなくてはと思っている。まずは、4点発見できた西南戦争錦絵から始めるつもり。
2015年
1月
02日
金
静岡県立中央図書館蔵「日本帝國陸軍牙山全勝凱旋之圖」を追加した。
日清戦争開戦直前である八月中の牙山の戦いに勝利した日本軍の様子を描いているが、実際はこのように優雅なものではなかったようだ。ぬかるんだ陸路での補給は困難をきわめたし、緒戦の豊島沖海戦で勝利したものの清国の北洋艦隊の脅威は健在で制海権を確保していない連合艦隊は海上補給にも不安を抱えていた。この後平壌に追撃戦を行うが、補給の不足は武器・弾薬、医薬品や食料に及び本当にぎりぎりの戦いが続いていたようだ。当時は補給の概念がそれほど重視されず、戦利品をうまく利用することが、求められていたようだが、敗走する敵も食料は手放さなかったようだ。
桃太郎のように敵から奪い取った戦利品を積み上げて、分捕り品として、並べる図柄は日清戦争錦絵の中に多数見られる。この絵でも右側に清国軍からのの分捕り品、銃や剣や矛や米や軍旗などが描かれ、左側には戦勝を祝う酒樽が大量に描かれている。日清戦争は近代戦への過渡期をちょうど今、移行している最中だが、表現の方は少し遅れて、未だのどかな前近代から抜け出していないようだ。
尚、現首相・安倍晋三は大島義昌の玄孫(やしゃご・孫の孫)である。