2011年
12月
14日
水
NHKドラマ「坂の上の雲」が間もなく完結するようだが、そのドラマに対する2冊の批判本を読んだ。1つ目が NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史認識を問う 日清戦争の虚構と真実 という長いタイトルの本で、左側からの問いかけ。なかなか考えさせられた。このホームページ日清戦争錦絵美術館もいかにして戦争が美しく、かっこ良く伝えられたかを検証していこうという事が目的なので、うなづけるところも多かった。ただ、NHKの再放送を流し見した限りでは、NHKはこの本に書かれているような批判は最初から想定済みでうまくかわせるような工夫を満載しているような気がした。特に「伊藤博文が平和主義者か?」というような問いかけに対しては、睦や川上など開戦に誘導していく人物を回りに配置してそれに抵抗する人物としての伊藤を浮かび上がらせるが、開戦が避けられないとなると一転したたかに外交戦略を繰り広げ、「平和主義者」にとどまらぬ老獪さをうまく描いているように思う。
また、東郷平八郎が浪速の艦長として英国運送船「高陞号」を撃沈した際、輸送されていた中国兵を全員射殺或いは見殺しにした事件はちゃんと描いていたように思う。
もちろん、旅順口の虐殺事件は全く触れられなかったし、日本軍の蛮行は森本レオ扮する曹長が一人で引き受けてしまうという頼りなさは、決定的にある。
そして何より、生前の司馬遼太郎が「決して映像化してくれるな」とかたくなにこだわっていた事をNHKはどのように反古にしていったのかは、もっと検証されるべきであろう。
もう一冊は「とんでも本」だ。右側(極めて)からの批判で、乃木希典を戦略上の智将として再評価しようという大きな目的があるようだ。その他のパートは坂の上の雲には直接関係なく、司馬遼太郎の歴史観に関しての事。昔の本(例えば少年漫画週刊誌の巻頭グラビア特集)などを読んでいるような気にさせられた。
あまり、語る事はない。
この間、西南戦争錦絵美術館では以下の作品をアップロードした。
2011年
11月
01日
火
8月の末についでがあって、鹿児島に行き私学校跡を見てきた。西南戦争錦絵の作業を始めてからは、初めて目にするので感慨も新た。忙しくてなかなかブログを更新できなかったが、この間以下の作品をアップロードした。
067鹿児嶋征討記聞 〔海陸より数万の官軍押寄女賊徒之を迎え討つ図〕
068鹿児嶋征討記聞 〔薩海近く乗込みし官軍の艦を隆盛等遠望〕
070西海暴動電信紀聞 〔神風連の輩種田政明少将の私邸を襲う〕
2011年
8月
17日
水
こんな感じの絵師年表を作成した。西南戦争当時の絵師の年齢を比較してみたかったのだが、いかがだろう。師匠弟子の関係や交友関係を反映するような相関図、系図的な物も作成していきたいと思う。
歌川芳虎はこの頃はもうとんでもない大ベテランにして人気のトップ絵師である。7作品をアップロードした。
27歳の早川松山の作品は以下の4点。河鍋暁斎の門人である。
四代目歌川国政の作品。日清戦争錦絵の小国政の実の父という事だ。日清戦争錦絵に登場する、香蝶楼でもあるらしいが、未確認。号をしょっちゅう変えたり、襲名したりでややこしい。
楊洲周延の作品は以下の7作品(ここまでのところ)。大正元年・75歳まで生きていたのでもう本当に生き証人という感じだろうか。もちろん日清戦争錦絵もたくさん製作している。日清戦争錦絵美術館では10作品ご覧いただける。
059鹿児嶋征討全記之内 〔吉次越にて官軍牛に悩まされる図〕
060鹿児島県下甲突川竹柵之図 〔賊徒の女軍川中の竹柵の縄を切る図〕
2011年
8月
03日
水
の7作品をアップロードした。左の画像は「新聞鹿児島事情」の一部で、小林清親デビュー2年目の作品だ。この髑髏模様の派手な衣装をご覧あれ。ほかにも安達吟光が3作品登場している。この両者は日清戦争錦絵も手がけていて、17年を隔てた画風の変化も見ていただける。
2011年
8月
02日
火
「022佐土原城進撃之図」以降はズームツールを導入した。これまで記事の文章をはじめとして細部が見にくかったので、少しでも見やすいようにズームできるようにした。別のファイルを読みにいって開くので、時間がかかるのが難点だが、少しはましになったと思う。
以前にアップした作品や、日清戦争錦絵の方にも取り入れていきたいと思っている。乞うご期待。さらに細部を詳細にご覧になりたい方は本家の国立国会図書館のデジタル化資料でご覧ください。西南戦争錦絵で検索すれば公開可能な作品がこの「西南戦争錦絵美術館」と同じ順番で並んでいる。
028西郷隆盛大軍ヲ引率シ肥後国熊本城ヲ陥ト安政橋ニ到所城兵モ討テ出両軍於橋上ニ大激戦ニ及之図
をアップロードした。山崎年信は8作品で終わり、小林永濯が登場した。
2011年
7月
14日
木
をアップロードした。
020鹿児島記聞 川尻本営図の作者は山崎年信で、西南戦争錦絵では初めて芳年以外の絵師の登場となる。さっそく、どんな人か調べたら、この経歴が面白い。29歳という若さでなくなるのだが、西南戦争の頃はなんと、20歳。その後、坂本龍馬の最初の評価のきっかけとなった、『汗血千里の駒』(明治16年=1883年に高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が連載)の挿絵を書いたりしている。芳年の弟子であるが、師匠との関係が小説のようだ。詳しくは、作家一覧で御覧あれ、ウィキペディアの丸写しですが。
2011年
7月
12日
火
016明治小史年間紀事 鹿児島県下賊徒蜂起之事件〔鹿児島港口弾薬製造所の弾薬を掠奪せんとす
の4作品を追加した。全作、芳年の作品である。
定価がついている物が結構多い。今でいくらくらいになるのかちょっと計算してみた。現在の標準で白米10キロ3700円、そば1パイ320円とした時、明治十年は白米10キロ37銭、ソバ1パイ8厘という記録があるので、米で約1万倍、ソバは4万倍ということになる。錦絵には6銭という表記があるので今に換算すると、600円から2400円といった見当になる。あ、なんか違和感がない!今はあまり見かけなくなったグラフ誌で事件を読み解いていくみたいな感じだろうか?錦絵報道が少し身近になったような気がする。
参考:『今ならいくら?消費者物価』http://chigasakiws.web.fc2.com/
2011年
7月
08日
金
「011薩州鹿児島征討記之内 〔賊軍新政厚徳の旗を押立て進軍の図〕」
の2作品を追加した。
ほとんどの作品に記事がついているのでアップロードするのに時間がかかる。少しずつマメにやっていくしかないようだ。
今のところ、大蘇芳年の作品ばかりだ。
2011年
7月
06日
水
なかなか準備が整わないが、できた分だけ公開していく事にした。
「西南戦争錦絵美術館」である。日清戦争をさかのぼる事16年。また、ひと味違った錦絵の世界が展開されている。
下図は「鹿児嶌紀聞之内 副将村田討死之図」の中図である。凄絶至極!
2011年
6月
13日
月
「NHKは2013年に放送する大河ドラマの主人公を、福島県出身で、同志社大学を創設した新島襄の妻、新島八重(1845~1932)にすることを決めた。 八重は、兵学をもって会津藩に仕えた家に生まれた。戊辰戦争では自ら銃を取って戦ったとの逸話を持ち、その豪傑ぶりから『幕末のジャンヌ・ダルク』とも呼ばれる。 維新後は京都に移って教育に従事し、襄と結婚。日清・日露両戦争では自ら望んで看護師として働いた。」asahi.comより
右図は楊斎延一画の「平壌激戦我軍大勝図」の一部
2011年
6月
13日
月
1866年にフランス軍によって略奪された、朝鮮王室儀軌296点が2011年5月27日までにすべて韓国に返還された。「5年ごとの貸与契約更新」という形であるものの、「事実上の返還」といっていいだろう。UNESCOの世界の記憶にも指定されている朝鮮王室儀軌だが、李氏朝鮮時代に王室の結婚式や国葬、冊封、築城、国王の実録などの国家や王室の主要行事を「儀軌」と題して図解を含め詳細に記録したものである。
日本の宮内庁書陵部 にも購入した物を含めると72種141冊が所蔵されている。2011年4月28日衆議院で日韓図書協定が可決され、近日中に返還されるという事だが、1922年(大正11年)に朝鮮総督府を経由して宮内省(現・宮内庁)に移管された儀軌が89年かかって本来あるべき所に戻ることになる。フランスの場合145年もかかっているわけで、かすめとった歴史をただしていく事は本当に時間のかかる大変な作業だ。
4月29日に日韓図書協定の経緯を伝えた朝鮮日報によると
「このほど引き渡されることになった韓国図書は150種・1205冊。『朝鮮王室儀軌』167冊、『大典会通』1冊、『増補文献備考』99冊、伊藤博文が持ち出した図書66種938冊だ。 最も代表的なのは、朝鮮王朝の記録文化の神髄である「朝鮮王室儀軌」。朝鮮王朝時代の王室と国の主要行事を絵と文で記録したもので、宮内庁に所蔵されている「朝鮮王室儀軌」167冊が全て引き渡される。「大典会通」は、1865年(高宗2年)に王の命により編さんされた朝鮮王朝時代最後の法典で、「増補文献備考」は上古時代から大韓帝国時代までの韓国の文物制度を百科事典のように分類・整理したものだ。 引き渡される図書「戊申(ぼしん)事績」1冊、「乙巳(いつし)定難記」1冊、「甲午軍政実記」10冊、「経世補篇(へん)」9冊、「朴氏殉忠録」1冊、「青邱漫輯(しゅう)」6冊の6種28冊は韓国内にもない唯一本だ。」
という事で、ウィキペディアと朝鮮日報で朝鮮王室儀軌の冊数が違うが、背景には色々と複雑な事があるらしい。例えば、フランスの場合、「御覧用」の原本であるが、日本の宮内庁の物は、当時作成した写本を朝鮮総督府が皇室に寄贈した物である、など。また、神田の古本屋で購入した物があるとかなってくるとちょっと訳が分からなくもなってくる。が、やはり正す事は大変な作業だという事で今のところは理解しておこうと思う。
朝鮮王室儀軌 ( 2011年6月6日 (月) 04:28 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮王室儀軌
朝鮮日報 「朝鮮王室儀軌」引き渡しに奔走した韓日の主役たち(2011年4月29日)
を参考にしました。
2011年
4月
26日
火
国会図書館とのやり取りの中で日清戦争錦絵の閲覧制限に関して新事実が分かったので報告する。閲覧制限の画像は著作権が残っている物と思いきや、著作権保護期間満了の表記があり、他の理由で閲覧制限がかかっているのかもしれないと思い問い合わせた。国会図書館からの回答では
「著作権者の没年が不明であるために、インターネットで公開ができないため、
制限をかけている画像でした。『保護期間満了』との画面上の表示は誤りであり、
正しくは「未処理」と表示するべきものでした。」という事で、近く訂正されるという事だ。明治時代の作品であり、著作権の行方はたどりようも無いだろうが、普通他の作品と同様に保護期間は満了しているものと考えていいのではないか。制限を除いて公開される事を期待したい。
2011年
4月
24日
日
国立国会図書館のデジタル化資料の公開システムが4月以降変更されたため、3月以前の内容と変わってしまった部分があるのでそれを照合した。3月までは全378枚の画像(3枚続なので作品数は125作品で重複が2点ある)であったが、現在は全519枚の画像(作品数は172作品で重複が2点)となっており、141枚(作品数としては47作品)増加している。そして、その47作品がすべて、インターネット上では閲覧制限がかかっており、見ることができない。 国会図書館に問い合わせた所、「新システムへの移行に伴い、インターネットに公開できない画像が追加され、作品点数が519点に増加いたしました。著作権等の問題から、インターネットに公開できない画像ついては、個別に閲覧制限をかけるようにしております。」ということである。著作権の問題であるならいたしかたないので、時間のたつのをまつことにしようか。国会図書館に赴けば見ることはできるそうだが、ホームページにのせるのは難しそうだ。 画像が無くても資料としてはまとめておきたいので、何らかのページを作ってタイトルと作者くらいは一覧できるようにしようと思う。