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進斎 年光 しんさい としみつ

 

S037九連城附近ニ清兵ヲ激破ス

九連城附近ニ清兵ヲ撃破ス(インターネット非公開 国立国会図書館)

我大斥候清軍ヲ撃破ス(インターネット非公開 国立国会図書館)

我軍平壌ヲ陥ル之図(インターネット非公開 国立国会図書館)

平壌夜戦我兵大勝利(インターネット非公開 国立国会図書館)

大孤山沖海洋島ニ日本海軍清艦ヲ撃沈ス(インターネット非公開 国立国会図書館)

 

PC001賊魁ノ首級實検之圖(西南戦争錦絵)

u009西国征討新誌 インターネット非公開(西南戦争錦絵)

H008日本大捷九連城激戰圖

 

 

生没年不詳

 

明治時代の浮世絵師。

月岡芳年の門人。本名は古林栄成。大月、年光、進斎、日不見岡、星湖と号す。明治10年(1877年)頃から主に西南戦争に取材した戦争絵や風俗画などを描き始め、日露戦争の頃まで作品がみられる。明治11年には神田猿楽町に住み、大月年光と号している。

 

作品

「西国征討新誌」 大錦3枚続 明治10年(1877年) 国立国会図書館所蔵

「うきよはんじよう穴さがし」 大錦3枚続

「元治夢物語」 大錦3枚続 明治11年(1878年)

「百花叡覧」 大錦3枚続 明治11年(1878年) 大月年光落款

「九月二十日号外 鴨緑江沖之大海戦」 大錦3枚続 明治27年(1894年)

「日清九連城激戦船橋之図」 大錦3枚続 明治27年(1894年)

「大孤山沖海洋島日本海軍清艦激沈」 大錦3枚続 明治27年(1894年) プラハ国立美術館所蔵

「北京附近北倉激戦図」 大錦3枚続 明治33年(1900年)

「マカロフ中将奮死ノ図」 大錦3枚続 明治37年(1904年) 「星湖」印あり

 

参考文献

井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※近代デジタルライブラリーに本文あり。111コマ目。

日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年

 

進斎年光 Wikipedia日本語版 最終更新 2015年1月15日 (木) 04:00  UTCの版

http://ja.wikipedia.org/wiki/進斎年光

進斎年光日清戦争錦絵リスト

10作品 (2017年1月5日現在)

整理番号

タイトル

年代

備考

RST013

『九連城附近ニ清兵ヲ激破ス』

1894

S037

RST014

『第二軍旅順口激戰大勝利之圖』

画題から

 

RST015

『九月二十日號外鴨緑江沖之大海戦』

画題から

 

RST016

『我軍平壌ヲ陥ル之図』

1894

国会非公開

RST017

『大孤山沖海洋島ニ日本海軍清艦ヲ撃沈ス』

1894

国会非公開

RST018

『平壌夜戦我兵大勝利』

1894

国会非公開

RST019

『我大斥候清軍ヲ撃破ス』 

1894

国会非公開

RST020

『日本大捷九連城激戰圖』

1894

H008

RST021

『日清九連城激戰舩橋之圖』 

1894

 

RST022

『日清韓戦争全勝画双語六』

1894

国会非公開

 

進斎年光に関する考察

 

 進斎年光は明治時代の浮世絵師であるが、その来歴は不明な部分が多い。数少ない作品から見ていくと明治時代の大きな戦争とともに需要が増した「戦争錦絵」に30年近く関わった可能性がある絵師である。

 

 年光が文献に登場する時、月岡芳年の弟子として紹介されるのが通常である。例えば明治31年6月に刊行された『浮世絵備考』によると年光は大月年光の名前で「以上22人大蘇芳年の門弟」と一覧の中に紹介されている。春齋年昌、亭齋年參、南齋年忠、筒井年峰などに続き5番目に登場しているが他の十五人は名前だけであるし、その他にも号と名前だけの絵師が多い中、名字が記されるのは筒井年峰と大月年光の二人だけである。梧齋年英が「右田氏、通称寅彦、芳年の門弟にて、新聞の挿絵を画けり。」とあるのと比べると物足りないが、名字がついているのはそれだけ存在感が強い。ただし、本名までは追いきれない。

 

 一方、向島百花園にある、月岡芳年顕彰碑の裏面に記載された弟子の一覧の中では、一番最後にその名前が「年光」と記されている。一番年若い弟子であったのか、或いはこの石碑を建立するときの取りまとめ役であったのかは不明である。注目すべきは、芳年社中故門人部の一覧の中におなじ「年光」の名前があるということである。石碑が建立された明治三十一年五月にすでに死去していた年光と生存していた年光は同一人物ではありえないので、二人の年光を振り分けていく必要があるということになる。

 

 さて、ここで、進斎或いは年光のサインが施された作品を世界各国の美術館・博物館が公開しているデジタル画像の中に探していくと21点の作品を確認できる。この21作品をどちらかの年光の作品として確定することは難しい作業になるが、幸い明治時代の御届は絵師の住所を記したものも多くその情報が付帯していれば、特定の補強材料として使うことが出来るし、また、当然ながら錦絵はチームワークであり版元を始めとして、彫師、摺師、または売りさばきの書店など関係先が共通していればこれもまた、特定の補強材料となる。さらに落款の書体も参考になるだろう。また、年光は、かなり独特の身体表現をする絵師である。一例を上げるならば、「日本大捷九連城激戰圖」に見られるアクロバットのようなねじれた身体表現は独自のものであり、この傾向は日清戦争錦絵では特に顕著である。この傾向が、編年的に変化してきたものか細部を検証して明らかにすれば、これもまた絵師特定への補強材料となるだろう。これらを駆使して30年に渡り戦争錦絵の制作グループの中心として明治民衆の世論をリードしたおそらく唯一の絵師であろう年光を歴史の闇から引きずり出すことに成功すれば、西南戦争・日清戦争・日露戦争と近代化にともなって激しく変化していく戦いの姿に向き合い一喜一憂する明治の浮世絵界をあぶり出すことが出来るだろう。

   

進斎年光作品リスト

整理番号

タイトル

年代

RST001

『西國新聞雙六』

1876

RST002

『西国記聞』

画題から

RST003

『開明貴族表』

1877

RST004

『うきよはんじよう穴さがし』

1877

RST005

『西国征討新誌』

1877

RST006

『戰地実況奏聞之圖』

1877

RST007

『賊魁ノ首級實検之圖』

1877

RST008

『西郷城山討死圖』

1877

RST009

『元治夢物語』

1878

RST010

『百花叡覧』

1878

RST011

『上野公園地ニ於テ米國前ノ大統領グラント氏鎗術遊覧圖』

1879

RST012

『上野公園博覧會場美術館猩々噴水器之圖』

1881

RST013

『九連城附近ニ清兵ヲ激破ス』

1894

RST014

『第二軍旅順口激戰大勝利之圖』

画題から

RST015

『九月二十日號外鴨緑江沖之大海戦』

画題から

RST016

『我軍平壌ヲ陥ル之図』

1894

RST017

『大孤山沖海洋島ニ日本海軍清艦ヲ撃沈ス』

1894

RST018

『平壌夜戦我兵大勝利』

1894

RST019

『我大斥候清軍ヲ撃破ス』 

1894

RST020

『日本大捷九連城激戰圖』

1894

RST021

『日清九連城激戰舩橋之圖』 

1894

RST022

『日清韓戦争全勝画双語六』

1894

RST023

『北京附近北倉激戦図』

1900

RST024

『旅順港第八次海戦マカロフ中将奮死ノ圖』

1904

RST025

『鹿兒島朝鮮日清軍記』貼交帖

複数

 

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