サイト内検索

What's New


土屋 光逸

作品数 1点 (2016年8月15日現在)

土屋 光逸 つちや こういつ


S052請和使談判之圖

 

明治3年〈1870年〉 - 昭和24年〈1949年〉11月13日

明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。


来歴

小林清親の門人。姓土屋、名は光一。明治3年、静岡県浜松市に生まれる。明治18年(1885年)、15歳の時に上京し、始めは木版彫刻師の弟子になったが、翌明治19年清親に入門、以降明治37年(1904年)までの30年間、小林家で家族同様に生活の苦を共にしている。代表作として、明治28年(1895年)に日清戦争を描いた「講和使談判之図」や「万々歳凱旋之図」などがあげられ、色彩も温和である。光逸は、初めは、石版画家となることを目指していた。しかし妻が病死したり、関東大震災にあったりと、苦難の日々が続いた。さらに自らの病気と浮世絵の衰退により、一時画業から離れることもあった。

昭和7年(1932年)、渡辺版画店から新版画「祇園の夜桜」、「大阪城の月夜」の2点を版行、翌昭和8年(1933年)より細判風景画「奈良猿沢の池」、「雪の堅田浮見堂」(東京国立近代美術館所蔵)、「日比谷の月」、「弁慶橋」などを土井版画店より、昭和11年(1936年)からは「東京風景十二枚」を同じく土井版画店より版行しており、清親ばりの風景版画を残した。その後昭和16年(1941年)頃まで東京尚美堂、酒井川口合板、カワグチ商会など各版元から新版画の作品を発表していった。東京尚美堂から発表した木版画として、昭和5年(1930年)代の横三つ切判「宮島」、「天の橋立」、「松島」などが挙げられる。また石版画を版行した版元として松聲堂があげられ、明治31年(1898年)から明治37年(1904年)に版行された「教育歴史画」第一輯から第三輯や、明治35年(1902年)から明治36年(1903年)に版行された「教育立身画」などの作例がみられる。昭和11年9月、「下関観月橋」を馬場信彦のもとから発表した後、昭和16年6月まで大判16枚などの作品を版行した。昭和24年11月、79歳で没した。

作品

「講和使談判之図」 錦絵 大錦3枚続 明治28年

「万々歳凱旋之図」 錦絵 大錦3枚続 明治28年

「矢橋の帰帆」 木版画 東京国立近代美術館所蔵

「夜祭」 木版画 東京国立近代美術館所蔵

「城」 木版画  東京国立近代美術館所蔵

「石山寺の秋月」 木版画  東京国立近代美術館所蔵 昭和8年(1933年) 

「明石の浜」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和9年(1934年)

「雪の堅田浮見堂」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和9年(1934年)

「比良の暮色」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和11年(1936年)

「瀬戸内海 鞆之津」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和15年(1940年) 

「瀬戸の夕照」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和15年(1940年)

「三井寺晩鐘」  木版画 東京国立近代美術館所蔵 昭和15年(1940年) 

参考文献

日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』第2巻 大修館書店、1982年

吉田漱 『浮世絵の見方事典』雄山閣、1987年

浜松市美術館編 『伊藤孝之と新版画運動』 浜松市美術館 1995年

土屋光逸・Ross F.Walker・土井利一 『土屋光逸作品集 Meiji to shin-hanga,watercolours to woodblocks』 近江ギャラリー出版 2008年

東京都江戸東京博物館編 『よみがえる浮世絵 うるわしき大正新版画展』 東京都江戸東京博物館・朝日新聞社 2009年

 

Wikipedia日本語版 土屋光逸 最終更新 2015年7月12日 (日) 11:24 (UTCの版

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B1%8B%E5%85%89%E9%80%B8

作品数 1点 (2016年8月15日現在)

No.

タイトル

出版日時

カテゴリー

所蔵

版元

1-1

S052請和使談判之圖

1895/00/00

日清戦争

錦絵

静岡県立

中央図書館

武川清吉

 

プライバシーポリシー | サイトマップ
Ⓒ 2011 日清戦争錦絵美術館 All Right Reserved