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年表

1894年

 

* 3月 東学党、朝鮮全羅道で蜂起(その後甲午農民戦争に拡大)

* 5月27日か28日 代理公使杉村濬より、朝鮮が「兵を支那に借り」る動きあり、

 と外務省に通報

* 5月31日 朝鮮政府、清への援兵を決議。伊藤内閣、内閣弾劾上奏決議案が

 可決されて難局に直面

* 6月1日 杉村代理公使、「袁世凱いわく朝鮮政府は清の援兵を請いたり」と打電

* 6月2日 伊藤内閣、衆議院解散と清が朝鮮に出兵した場合に公使館・居留民

 保護のための朝鮮出兵とを閣議決定

* 6月4日 清の北洋通商大臣李鴻章、朝鮮出兵を指令

* 6月5日 参謀本部内に大本営を設置(形式上戦時に移行)

* 6月6日 天津条約にもとづき、清が日本に朝鮮出兵を通告

* 6月7日 日本も同条約にもとづき、清に朝鮮出兵を通告

 

(以後、日清両軍が朝鮮に上陸するとともに、日清間と日朝間の交渉、

 さらにイギリスとロシアが日清間の紛争に介入)

 

* 7月9日 清の総理衙門がイギリスの調停案を拒絶

* 7月10日 駐露公使西徳二郎より、これ以上ロシアが干渉しない、との情報が

 外務省にとどく。

* 7月11日 伊藤内閣、清のイギリス調停案拒絶を非難するとともに、清との国交

 断絶を表明する「第二次絶交書」を閣議決定

* 7月16日 日英通商航海条約の調印(領事裁判権撤廃を達成)。清、軍機処など

 の合同会議で開戦自重を結論とし、18日に上奏

* 7月20日 駐朝公使大鳥圭介、朝鮮政府に対して最後通牒(回答期限22日)

* 7月23日 日本軍、朝鮮王宮を占領。日本側の圧力により、大院君が国政総裁に就任

* 7月25日 大院君、清との宗藩関係解消を宣言し、大鳥公使に牙山の清軍掃討を依頼。  豊島沖海戦(高陞号事件)

* 7月29日 牙山にむかった日本軍と清軍が交戦し、前者が勝利(成歓の戦い)

 

* 8月1日 日清両国、互いに宣戦布告

* 8月5日 大本営、参謀本部内から宮中に移動

* 9月13日 大本営、戦争指導のために広島移転(広島大本営)

* 9月15日 明治天皇、広島に入る。平壌攻略戦で日本軍が勝利

* 9月17日 黄海海戦で日本艦隊が勝利。その結果、日本が制海権をほぼ掌握

* 9月19日 李鴻章、持久戦(西洋列強の介入を期待)等を上奏

* 10月24日 日本の第一軍が鴨緑江渡河を開始し、第二軍が遼東半島上陸を開始

* 11月21日 第二軍、旅順口を占領。その後、旅順虐殺事件が発生

 

1895年

 

* 2月1日 広島で清との第一次講和会議(翌日、日本が委任状不備を理由に交渉拒絶)

* 2月中旬 陸海軍共同の山東作戦完了。日本が制海権を完全に掌握

* 3月上旬 第一軍、遼河平原作戦完了。日本が遼東半島全域を占領

* 3月16日 直隷決戦に備え、参謀総長小松宮彰仁親王陸軍大将が征清大総督に任じられる。

* 3月19日 講和全権の李鴻章、門司到着(翌日から下関で交渉)

* 3月24日 李鴻章、暴漢に狙撃される(日本、条件を緩和して講和を急ぐ)。

* 3月30日 日清休戦条約の調印

* 4月17日 日清講和条約の調印(5月8日、発効)

* 4月23日 ロシア・フランス・ドイツ、清への遼東半島返還を要求(三国干渉)

* 5月4日 伊藤内閣、遼東半島返還を閣議決定

* 5月5日 日本がロシア・フランス・ドイツに遼東半島返還を伝える。

* 5月29日 日本軍、割譲された台湾北部に上陸を開始

* 5月30日 明治天皇、広島から東京に還幸

* 8月6日 台湾総督府条例により、台湾で軍政をしく。

* 10月8日 朝鮮で乙未事変(閔妃暗殺事件)発生

* 11月8日 清と遼東還付条約を締結

* 11月18日 台湾総督、大本営に全島平定を報告

 

1896年

 

* 2月 朝鮮で親露派のクーデターが成功し(露館播遷)、日本が政治的に大きく後退

* 3月31日 台湾総督府条例公布により、軍政から再び民政に移行

* 4月1日 大本営の解散

 

日清戦争 2011年2月27日 (日) 08:24  UTCの版 「Wikipedia日本語版」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89#.E5.B9.B4.E8.A1.A8

 


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