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H034朝鮮王城大院君参殿ノ圖

ちゃうせんわうじゃうたいゐんくんさんでんのづ

 

楊斎延一 筆 印(楊斎)                函館市中央図書館 蔵

ホリ德

 

明治廿七年八月 日印刷

   仝年 月 日発行

臨写印刷兼発行者 森本順三郎 浅草区瓦町二バンチ

 

中図:義和宮、大院君

左図:全権公使大鳥圭助君

 

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函館市中央図書館での分類は以下の通り

タイトル

朝鮮王城大院君参殿ノ図

内容説明

楊斎延一は島田延一の画号。

著者

島田 延一/画

出版者

森本順三郎

出版年月

18948

ページ数

3枚続

サイズ

37×25cm

請求記号

EE721.8シマ

資料番号

1114234204

MFA,東京経済大学図書館などに異版あり

MFAに異版あり

https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc29868

 

東京経済大学図書館朝鮮関係錦絵コレクション

に異版あり

https://repository.tku.ac.jp/dspace/handle/11150/1266

 

 

MFAの書誌情報は以下の通り

MFAの書誌情報

Illustration of the Meeting with Taewongun at the Korean Royal Palace (Chôsen ôjô Tai-in-kun sanden no zu)LICENSE IMAGESHARE

ORDER PRINTDOWNLOAD

Illustration of the Meeting with Taewongun at the Korean Royal Palace (Chôsen ôjô Tai-in-kun sanden no zu)

 

「朝鮮王城大院君参殿ノ圖」Yôsai Nobukazu (Japanese, 1872–1944)

Publisher: Morimoto Junzaburô (Japanese)JapaneseMeiji era1894 (Meiji 27), August

MEDIUM/TECHNIQUE

Woodblock print (nishiki-e); ink and color on paper

DIMENSIONS

Vertical ôban triptych; 36 x 69.8 cm (14 3/16 x 27 1/2 in.)

CREDIT LINE

Jean S. and Frederic A. Sharf Collection

ACCESSION NUMBER

2000.526a-c

NOT ON VIEW

COLLECTIONS

Asia, Prints and Drawings

CLASSIFICATIONS

Prints

CATALOGUE RAISONNÉ

Kang Duksang, ed., Nishiki-e no naka no Chôsen to Chûgoku (2007), #65; Sharf, Imaging Meiji (1997), #40, no photo

SIGNED

Yôsai Nobukazu hitsu

楊斎延一筆

MARKS

Blockcutter's mark: Hori Toku

Artist's seal: Yôsai

PROVENANCE

Various dealers: primarily in London and Tokyo. Purchased between 1985-1999.

 

東京経済大学図書館朝鮮関係錦絵コレクションの書誌情報は以下の通り

その他の識別子: 桜井文庫no.4097

タイトル: 朝鮮王城大院君参殿ノ図

絵師: 延一

版元: 森本順三郎

製作年: 明27

発行日: 1894

ページ数: 3

主題: 日清戦争

朝鮮内政改革

甲午改革

登場人物: 大院君

タイプ: Image

NII資源タイプ: Others

出現コレクション: 朝鮮関係錦絵コレクション

 

 

義和宮とは?17歳には見えないが、、、

都倉 武之による『福沢諭吉関係新資料紹介 朝鮮王族義和宮留学と福沢諭吉』https://ci.nii.ac.jp/naid/120000804793 によれば、羲和宮はこの絵が描かれた、3年後に日本留学をしており、福沢諭吉とも関係があったようだ。以下抄録からの抜粋である。

「義和宮」という人物の略歴を示せば左の通りである。一八七七年三月生まれ。高宗国王の第五子で、側室張氏を母とし、名を李鋼という。九一年、義和君(日本では義和宮)に封じられ、一九〇〇年には義王(義親王)に昇封された。韓国併合後は、公族に列せられて「李燗公殿下」と称されたが、李太王が亡くなると、独立運動団体「大同団」の総裁に挙げられて密かに活動し、一九年一〇月上海臨時政府への参加を企てて満州安東で日本警察に拘束された(大同団事件)。三〇年六月には隠居させられ単に「李姻殿下」と呼ばれ、警察の監視下で生活したという。五五年八月、ソウルにおいて七十八歳で死去。生涯で十三男九女をもうけた。なお、上の兄が純宗として高宗の跡を継ぎ、子がなかったが、その後継者とされたのは李綱ではなく、弟の李根(英親王) であった。これは、青年期の素行に由来するとも宮中の勢力争いに由来するとも言われる。」


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