H026金州捷戰小野口工兵奮勇之圖
担哉之印
明治廿八年 月 日印刷
出版情報は半分になっており読み取れない。
維時明治廿七年十一月六日皇軍金州城を陥る
此日師團本隊三面より齊しく城下に肉薄
し工兵隊先つ永安門に向ふ門高さ約ね五間
餘門扉銕(てつ・くろがね)を用ゐ堅牢當る可らず此時工兵第一
大隊㐧一中隊上等兵小野口徳治氏奮進衆に㹨じ(㹨とあるが抽の方が意味が通る、衆に抜きん出て位の意味か)
硝煙弾雨の間に立ち門下に爆発薬を装點
せんとするや飛丸適々其肩を貫く徳治氏敢て
屈せず爆薬を装了するの瞬間(はづみ=そのとたん)轟然一発の響と
倶に門扉空に翻り次て㐧二門亦壊る是に於て我
兵躍て城に入るを得たり蓋し金州城の陥落は徳治氏與て(あずかりて)大に力ありと云べし
小野口徳治氏は栃木縣那須郡黒羽町の人新
吉の子にして大関子爵の旧領に属し又陸軍少将大沼
渉君と同郷たり徳治氏軀幹長大沈勇にして剛毅好
て旧藩士の子弟と交り夙に(はやくに)大関私学校に入り普
通の教育を受く去る廿四年徴兵検査に合格し入隊
するや常に倦怠放恣の處行(おこない)なく能く兵士の本分
を守り進で上等兵となり第二軍に従ひ勇躍征清
の途に上り萬死の間に出入し此抜群の勲功を奏す
る仁に至る吁氏の如きハ野州男子の名誉のみ
ならず實に帝國軍人の亀鑑と云ふべし
甲午臘月初五(甲午年は1894年、臘月は陰暦12月)
下野黒羽 浄法寺 龍江識
函館市中央図書館での分類は以下の通り
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