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H021淺川騎兵大尉雙臺溝附近水師營二敵ノ大軍ト戦ヒ殊功ヲ樹ツ 

 

   作品では臺(正字)ではなく俗字のだい、上が其の上半分で下が室を使用して

         いる。台の旧字である臺の俗字である。

 

応需 年英 筆 印(悟斎印)               函館市中央図書館 蔵

 

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函館市中央図書館での分類は以下の通り

タイトル

浅川騎兵大尉双台溝附近水師営二敵ノ大軍ト戦ヒ殊功ヲ樹ツ

内容説明

 

著者

右田 年英/画

出版者

 

出版年月

 

ページ数

3枚続

サイズ

35×23cm

請求記号

EE721.8ミキ

資料番号

1114234055

 このページの画像は函館市中央図書館のデジタルデータを利用して構成している。

 

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秋山好古少佐の右腕・浅川敏靖大尉

 浅川敏靖大尉は土城子の激戦で活躍・負傷した。参謀本部編纂の『明治二十七八年日清戦史第3巻』に詳細が記録されている。概要は以下の通り、

 北洋艦隊の基地の一つである旅順を攻略するため遼東半島に上陸した第2軍は、半島先端の旅順を目指し行軍する。浅川敏靖大尉は秋山好古少佐率いる騎兵第一大隊の第二中隊長であり、斥候を任務としていた。

 11月18日に營城子を出発した捜索騎兵(第一大隊)は土城子あたりで敵と遭遇した。こちらの前衛中隊が退くと、敵は騎兵約五十、步兵約五百を増加して攻勢にはいり猛烈に射撃を開始してきた。騎兵両中隊は必死に防戰したが、敵は衆を恃んで前進し、二・三百メートルの距離まで迫ってきた。こちらの弾薬はもはや尽きようとしていた、午前十一時頃のことである。秋山少佐は、諸方に斥候を派遣したため現在ここにいるものは僅に三十余騎であった第二中隊に命じて右側から突入させた。まず敵の騎兵を駆逐し次に敵の步兵線の左側を衝いて撹乱し一時敵の前進をとめたが、浅川大尉は負傷してしまい、馬も失う。二等卒の木村源松が馬を譲りこれに乗せて、二等軍曹福澤平太郎とともに助け退いた。中尉の嘉悦敏が代りに中隊を指揮して襲撃後は北方に向って背進した。たまたま、步兵第三連隊第三中隊が来て騎兵の右側後に散開しすぐに急射撃を開始して敵の勢を阻んだのでそこで初めて騎兵両中隊は退却することができた。

 以上の戦闘が画題である。タイトルにある水師営は後に日露戦争で有名になるが、この時はまだ、純粋に「水師とは清時代に、各地の海岸などに設立されていた水軍を指し、営とは軍の駐屯地のことであった。」(ウィキペディア)というように、清国海軍の駐屯地の意味で使われたのだろう。ただ、後に水師営といえば旅順港の北部となるが、この同じ場所である。

原文は以下の通り。

 「十八日搜索騎兵ハ、第二中隊(一小隊半欠)ヲ前衛ト為し午前七時營城子ヲ出發シ十時頃 其本隊ヲ以テ山潤堡ニ達シテ 敵ノ騎兵約五十、步兵約二百ノ土城子南方高地ニ據レルヲ發見シ秋山少佐ハ其全兵力ヲ展開セシメント欲シ前衛ヲ土城子ニ置キ前面ヲ警戒セシメ本隊ヲ山潤堡ノ東方ニ徒歩散開セシメタリ然ルニ敵ハ從來ノ如ク容易ニ退却セス漸次其兵力ヲ增加シ十時四十分頃ニ至リ歩兵ハ五六百ヲ算シ尚ホ陸續増加シテ其陣地ヨリ前進シ來レリ少佐以爲ラク敵ハ雙臺溝西南ノ高地脈ヲ占領セント欲スルモノナラン若シ此地ニシテ敵手ニ落チンカ軍ノ前進ニ不利ヲ來サン宜シク強硬ニ敵ノ前進ヲ拒支シ少クモ第一師團ノ前衛ニ同地ヲ占領シ得へキ餘裕ヲ與へサル可ラスト乃チ前衛ヲ手馬ノ傍ニ退ケ之カ掩護故並ニ散兵線右側ノ警戒ニ任シタリ前衛中隊ノ退クヤ敵ハ其左翼ニ騎兵約五十、步兵約五百ヲ増加シテ前進シ正面ヨリスルモノハ土城子ノ東北端ニ達シ左翼ニ連ナルモノハ蔣家屯ヲ占領シ自餘ノ兵ハ付家旬子ニ前進シ攻勢鉤形ヲ取リテ猛烈ナル射撃ヲ開始ス乃チ散開セル騎兵兩中隊ハ殊死シテ防戰ス然レトモ敵ハ衆ヲ恃ミテ前進シ今ヤ前面二三百米突ニ逼迫シ我弾薬ハ既ニ盡ルニ垂トス(なんなんとす)時ニ午前十一時頃ナリ是ニ於テ少佐ハ第二中隊ニ命スルニ右側ヨリ逼ル敵ヲ襲撃スヘキヲ以テセリ當時此中隊(一小隊半欠)ハ諸方ニ斥候ヲ派遣シ在リテ現在スルモノ僅ニ三十餘騎ニ過キサリシモ士卒死ヲ決シ弾雨ヲ冒シテ襲撃ニ移リ先ツ敵ノ騎兵ヲ駆逐シ次ニ敵ノ步兵線ノ左側ヲ衝キ之ヲシテ頗ル擾亂セシメ一時其前進ヲ躊躇セシメタリ此間淺川大尉負傷シテ馬ヲ失フ二等卒木村源松馬ヲ譲リ之ニ騎ラシメ二等軍曹福澤平太郎ト共ニ扶ケ退キ中尉嘉悦敏代テ中隊ヲ指揮シ襲撃後北方ニ向ヒ背進セリ」偶、步兵第三聯隊第三中隊來テ騎兵ノ散兵線ノ右側後ニ散開シ直ニ急射撃ヲ開キ敵ノ勢ヲ阻ム此援助ヲ藉リ騎兵兩中隊ハ始メテ退却スルヲ得乘馬シテ步兵線ノ左側後ヲ警戒せリ時ニ敵ノ步、騎兵約八百、山砲二門新タニ周家屯ノ方向ニ現ハレ我左側背ニ向テ前進シ來レリ」(99頁から101頁)

 


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