2021年
5月
30日
日
ともに函館市中央図書館所蔵の作品で、小国政と清親の作品である。特に『H028臺灣太姑陥草賊抵抗之圖』の方は作品製作の背景を調べていくと「明治のリネーム商法」とでもいっていいような、面白い事実が判明した。ぜひ作品ページをご覧ください。
2021年
5月
14日
金
を追加した。函館市中央図書館とフリーアサックラーギャラリーそれぞれの所蔵の異版である。絵師は清親の弟子の田口米作。
2020年
6月
18日
木
H023大寺少将奮戦図(仮題)を追加した。同時にフリーアサックラーギャラリーの異版FSG004 General Otera at the battle of Temma-Reiも追加したが、残念ながら絵のタイトルは不明。小林清親の作品である。
2020年
6月
13日
土
函館市中央図書館所蔵の『大寺少将戦死の図』であるが、トリミングされていない異版がMFAに所蔵されており、タイトルが『威海衛陸上砲臺攻撃之光景』であることがはっきりした。詳しくはページ内でどうぞ。こちらから。
2019年
9月
19日
木
『H021淺川騎兵大尉雙臺溝附近水師營二敵ノ大軍ト戦ヒ殊功ヲ樹ツ』を追加した。
浅川敏靖大尉は土城子の激戦で活躍・負傷した。参謀本部編纂の『明治二十七八年日清戦史第3巻』に詳細が記録されている。概要は以下の通り、
北洋艦隊の基地の一つである旅順を攻略するため遼東半島に上陸した第2軍は、半島先端の旅順を目指し行軍する。浅川敏靖大尉は秋山好古少佐率いる騎兵第一大隊の第二中隊長であり、斥候を任務としていた。
11月18日に營城子を出発した捜索騎兵(第一大隊)は土城子あたりで敵と遭遇した。こちらの前衛中隊が退くと、敵は騎兵約五十、步兵約五百を増加して攻勢にはいり猛烈に射撃を開始してきた。騎兵両中隊は必死に防戰したが、敵は衆を恃んで前進し、二・三百メートルの距離まで迫ってきた。こちらの弾薬はもはや尽きようとしていた、午前十一時頃のことである。秋山少佐は、諸方に斥候を派遣したため現在ここにいるものは僅に三十余騎であった第二中隊に命じて右側から突入させた。まず敵の騎兵を駆逐し次に敵の步兵線の左側を衝いて撹乱し一時敵の前進をとめたが、浅川大尉は負傷してしまい、馬も失う。二等卒の木村源松が馬を譲りこれに乗せて、二等軍曹福澤平太郎とともに助け退いた。中尉の嘉悦敏が代りに中隊を指揮して襲撃後は北方に向って背進した。たまたま、步兵第三連隊第三中隊が来て騎兵の右側後に散開しすぐに急射撃を開始して敵の勢を阻んだのでそこで初めて騎兵両中隊は退却することができた。
以上の戦闘が画題である。タイトルにある水師営は後に日露戦争で有名になるが、この時はまだ、純粋に「水師とは清時代に、各地の海岸などに設立されていた水軍を指し、営とは軍の駐屯地のことであった。」(ウィキペディア)というように、清国海軍の駐屯地の意味で使われたのだろう。ただ、後に水師営といえば旅順港の北部となるが、この同じ場所である。
2019年
5月
24日
金
函館市中央図書館蔵『H019根津砲兵大尉飯田海軍大尉』とスミソニアン博物館フリーアサックラーコレクション蔵『FSG002_Captain Nezu and Iida Establish Connection between the Army and the Navycitation』の2作品を追加した。
同じ版で製作された異版である。国会図書館にもこの作品の異版がある。
2019年
3月
23日
土
函館市中央図書館蔵『H018威海衛附近登州府降雪激戦之圖』
とその異版である、
フリーアサックラーギャラリー蔵『FSG001 Heavy Fighting In Snow At Toshufu』
を追加した。
2018年
5月
21日
月
H016海軍将校等征清の戰略を論する圖 函館中央図書館 蔵 を追加した。
国会図書館蔵国会図書館蔵『004海軍将校等征清の戦略を論する図』の異版である。
2017年
9月
21日
木
西南戦争錦絵美術館で公開している西南戦争錦絵の数を絵師別に整理して総数をカウントした。現在171作品を公開している。全てが所蔵館からの許可を得てデジタル画像を提供していただいたものである。この美術館の目的は作品に記載された情報を正確に採取することとそれを元に、西南戦争錦絵の全体像を明らかにすることで、基本的にはデータベース作成作業である。
各絵師のプロフィールは基本的にウィキペディアからの参照であるが、そのあとに、このウェブサイトで収集した情報を盛り込んだ作品リストをつけている。発行日順にならべ、異版は重複してカウントしないことを基本としている。今後、東京都立図書館とスミソニアン博物館の収蔵品を整理していく予定。
絵師名 |
西南戦争錦絵 作品点数 |
小林永濯 |
5 |
河鍋暁斎 |
2 |
小林清親 |
2 |
安達吟光 |
11 |
歌川国明(二代) |
1 |
豊原國周 |
10 |
歌川国利 |
1 |
歌川国政(四代) |
6 |
歌川国松 |
1 |
早川松山 |
8 |
三島蕉窓 |
1 |
楊洲周延 |
60 |
山崎年信 |
10 |
年正 |
1 |
進斎年光 |
未 |
鈴木年基 |
2 |
寧斎 |
1 |
歌川広重(三代) |
1 |
歌川房種 |
7 |
月岡芳年 |
27 |
歌川義虎 |
13 |
佐々木芳光 |
1 |
|
|
小計 |
171 |
2017年
1月
22日
日
昨年の9月にメールで案内が来ており、10月3日から反映されていたのだが、やっとどういうことになるのか実感した。日清戦争錦絵美術館と西南戦争錦絵美術館の各ページには以下のようなリンクが貼ってあって、そこから、ドロップボックスに保存した拡大画像に飛べるようにしていた。
これが、全て機能しなくなるということ。リンクには飛ぶのだが拡大エフェクトが使えないどころか、画像すら見えなくなってしまっている。タイトルだけが表示されるという状態で、とんでも無いことになってしまった、というのが実感だ。御届情報や記事などウェブ上でも見ることができるよう、拡大画像を表示するのに便利な存在だったのだが、今ではどうしようもない。
Jimdoは元の画像が大きければ、クリックで大きく表示できるが、古い作業データを大きい画像に変えて行くのは現実的では無いし、今後の追加して行くデータは大きいものでやって行くとしても、古いデータはどうしたものだろう。レンタルサーバーを借りてやって行く手もあるが、それなら、Jimdoを使う理由もないわけで、少し困っている。
方針を決めてから、リンクを変更していきたいので、今のところは、このままにしておきます。クリックしてくれた人にはご迷惑をおかけします。
2017年
1月
20日
金
日清戦争錦絵のデータベース化をめざして、この日清戦争錦絵美術館を開設したわけだが、リスト化がなかなかできないでいた。やはり絵師ベースで作品をリスト化してそのリストを総括するのが、一番のやり方と判断して、作業を進めた。異版は1つの作品とみなして、重複して数えてはいない。2017年1月現在、198点となった。今後作品を追加して行くごとにこのリストも増えて行くことになる。
現状では、国立国会図書館、静岡県立中央図書館、大英博物館、などをまとめることができたが、大英博物館から大英図書館へ委託された分(こちらの方が大量だが)は「描かれた日清戦争 〜錦絵・年画と公文書〜というインターネット特別展で公開されよくまとまっているので、照合作業は行なっていない。将来的には必要になるだろう。
現在の作業は、すでにデータをいただいている函館市立中央図書館の作品群を整理追加して行くことと、スミソニアン博物館がその収蔵品をパブリックドメインとして、自由な使用を認めているので、これを整理追加して行くことを中心に進めたいと思っている。また、絵師の中には西南戦争錦絵を描いた人物もいるわけで、西南戦争140年の今年はその連続性にも注目して、このページと西南戦争錦絵美術館との連携もより強化していきたい。
以下、絵師別作品数一覧を記載する。
2016年
8月
14日
日
函館市中央図書館蔵『H013日本海軍大勝利鴨緑江口海戰』を追加した。
鴨緑江口海戦とは黄海海戦のことで、ここに描かれているような敵前上陸はなかったと思われるが、近景に人物のほしい絵師が想像をたくましくしたものだろう。
この作品は江戸東京博物館に3枚の異版が収蔵されており、インターネットで画像を見ることができる。こちらからどうぞ。
2016年
8月
10日
水
進斎年光の作品。この福島年光という絵師のことを調べて、はっきりしないまま半年あまりたってしまった。そのうちまとめてみたい。
『H009晩秋夜大激戦図九連城総攻撃』(函館市中央図書館による仮題)
清親の得意な夜景だが、タイトルが間違っている。大英図書館に異版が有り、そこで『金州城落城之圖』というタイトルが確認できる。
北京の中央紫禁城の裏山景山を描いた図。戦争錦絵といえるのかどうか微妙なところだが。
『H011我兵鴨緑江を渡る図』(函館市中央図書館による仮題)
田口米作による作品。タイトルは多分間違っているが、さて、本当はなんなのかが追いきれていない作品。
国会図書館と大英図書館に異版がある作品。
2016年
2月
02日
火
西南戦争錦絵美術館にスミソニアン博物館蔵『FS003征討御會議之圖』を追加した。英語タイトルは『FS003Meeting on Subjugation [of Rebels in Kyushu]』である。明治天皇を名指ししない配慮の上画面に書き込んでいる。中図の右上の人物であるが、この人物だけ身分・役職と名前の表記がない。
2016年
1月
21日
木
「H007我将校軍議ヲ開キ鳳凰城ヲ破ル」を追加した。前線の戦闘を窺いながら軍議を行う将校たちの図である。
前線で指揮をとるのが立見少将。後方で見るのが佐藤大佐、武田中佐は振り返って気にしている。馬上の福島中佐も双眼鏡で戦況を窺っている。卓上の地図を囲んで軍議に当たっているのが桂中将と大島少将、山縣大将、野津中将という構図である。鳳凰城を攻撃した第五師団は師団長野津道貫で第9旅団と第10旅団で構成されていた。第9旅団は大島義昌少将が旅団長で、広島の第11連隊(西島中佐)と浜田の第21連隊(武田中佐、11月に大佐に昇進)からなる。また、第10旅団は立見尚文少将が旅団長で、丸亀の第12連隊(友安大佐)、松山の第22連隊(富岡大佐)で編成されていた。
このことから、この画での視界内に登場していいのは、以下の人物だけとなる。
また、清国側の大将宋慶は穀軍の統領で九連城で葉志超に変わって指揮をとっていたが、10月26日に日本軍が無血入城した。次の目標である鳳凰城も10月29日の攻撃時には城から火の手が上がっており、清兵は撤退した後であった。その後、旅順陥落後(11月22日)は営口防衛に当たっていたとのことなので、12月1日からの第三師団(桂中将)の海城攻撃を防衛していたようだ。この画の時点で鳳凰城から退却していたのであれば、この画でこそ敵将が逃げる姿を描くべきであったろう。
右図:大将宋慶、立見少将(◯)
中図:佐藤大佐(豊橋の18連隊長平壌→海城→牛荘か)、武田中佐(◯)
左図:桂中将(第3師団長平壌→大孤山→海城→牛荘か)、福島中佐(第一軍参謀)、大島少将(◯)、山縣大将(第一軍司令官)、野津中将(◯)
◯をつけた、4名のみが、現場に登場していいわけだが、戦闘がなかった戦い(変な表現だが)ということなので、この画題自体がそもそも史実とはかけ離れたものである。これこそが日清戦争錦絵の最大の特徴であるといっていい。
2016年
1月
17日
日
函館市中央図書館蔵「H005連勝倭魄輝天下我軍鳳凰城破」を追加した。タイトル検索でも画像検索でもヒットしなかった。貴重な1枚と言えるだろう。
「れんしょう やまとだましいてんかにかがやき わがぐんほうおうじょうをやぶる」と読むのだろう。
函館市中央図書館蔵「H006神國名誉奇談」を追加した。023神國名誉奇談(国立国会図書館蔵)をはじめとして、大英図書館、オークションサイトなど、多くの異版が存在している。
2016年
1月
16日
土
「H004清軍之将葉志超朝鮮官妓携敗走之図」を追加した。平壌の守りの総司令官が、城を捨てて配送する場面を描いたものだが、近代戦の現実とはかけ離れたもののようだ。同じ右田年英の作品「H002掩撃鏖殺平壌略取の図」6枚続の内、この美術館に収録していない左側三枚に同じ主題の葉志超将軍の平壌からの敗走が描かれている。こちらでは馬上で戦闘しながらの敗走である。清国軍の色鮮やかな軍服や、落ち延びていく美人というのは、リアルというよりは絵師が描きたい、また、描きやすいテーマだったのではないだろうか。
2016年
1月
15日
金
「H002掩撃鏖殺平壌略取の図」えんげきおうさつ へいじょうりゃくしゅのず
を追加した。掩撃えんげきとは小部隊で敵を急に襲うこと、不意打ちのことであり、鏖殺おうさつとは皆殺しにすることである。
画像検索をすると、ディーラーに3点(The Art of Japanに1点、原書房に2点)オークションハウス(Asian Collection Internet Auction)に1点、メトロポリタン美術館に1点、オーストリア応用美術博物館に1点、の合計6点がヒットした。最初の4点は販売品であり、現在の所属は不明だが、画像だけは残っているので、Ukiyo-e Search にて見ることができる。
http://ukiyo-e.org/image/met/DP146888
このうちThe Art of Japanとメトロポリタン美術館の作品は六枚続であり、The Art of Japanによると海戦ではなく陸戦では珍しい六枚続だとの解説がある。
メトロポリタンのオンラインコレクションで見ると以下の通り。
http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/55121
「向處無敵 平壌陥落」
There Stands No Enemy Where We Go: Surrender of Pyongyang from a series on the Sino-Japanese War (Mukau tokoro tekinashi: Heijō kanraku)
Artist: Migita Toshihide (Japanese, 1863–1925)
Period: Meiji period (1868–1912)
Date: Meiji 27 (1894)
Culture: Japan
Medium: Set of six polychrome woodblock prints; ink and color on paper
Dimensions: Image (each): 13 1/2 × 9 1/8 in. (34.3 × 23.2 cm)
Classification: Prints
Credit Line: Gift of Lincoln Kirstein, 1959
Accession Number: JP3177a–f
このようにタイトル部分に未詳の解説がある。
函館市中央図書館の右図と中図の間の空白は、それぞれの図がトリミングされている。異版で欠落部分を見ることができる。トリミング状態は、メトロポリタン美術館所蔵品が一番欠落が少ない。
英語タイトルはまちまちだが、オーストリア応用美術博物館のものが良さそうだ。メトロポリタン美術館のシリーズタイトル「向處無敵 平壌陥落」は不詳。
それぞれのタイトルは以下の通りである。
The Art of Japan(ディーラー): Battle of Heijo (Pyongyang)
原書房(ディーラー):A scene of Sino-Japan war, triptych, 1894
Asian Collection Internet Auction(オークションハウス):Battle of HEIJO (Pyongyang)
メトロポリタン美術館:右側Collapse and Subjugation 左側Subjugation and Seizure シリーズタイトルThere Stands No Enemy Where We Go: Surrender of Pyongyang from a series on the Sino-Japanese War (Mukau tokoro tekinashi: Heijō kanraku)
※シリーズタイトルは未確認。
オーストリア応用美術博物館:Occupation of Pyöngyang
2016年
1月
03日
日
函館市中央図書館蔵「H001朝鮮平壌日本大勝利之圖」を追加した。「066朝鮮平壌日本大勝利之圖」の異版である。また、ウェブ上のバブリックドメイン美術館にも収録があった。下図を参照ください。
2015年
12月
20日
日
右田年英作「S055威海衛陥落北洋艦隊提督丁汝昌降伏ノ圖」(静岡県立中央図書館蔵)を追加した。清国海軍の顧問武官である西洋人の姿も見える。
国立国会図書館、野田市立図書館、フィラデルフィア美術館などに異版があり、いずれも、ウェブ上で見ることができる。
静岡県立中央図書館の日清戦争錦絵はこれですべてとなる。全55作品がリストアップされたが、この後は、少し間をおいて、日露戦争錦絵をご紹介していこうと思う。
2015年
12月
14日
月
函館市中央図書館所蔵の戦争錦絵の使用許可を得たので、順次公開していく。
日清戦争錦絵115点(2枚の壬午事変作品と1枚の明治24年の二重橋を画題とした
作品を参考作品として含めた。)
北清事変錦絵2点
日露戦争錦絵52点
合計169点である。下に日清戦争錦絵のみの作品リストをお示しする。
タイトルに付加したHは函館のHで、作品順は函館市の整理番号順とした。
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坂の上の雲(NHKドラマ)批判本2冊 2011年 12月 14日
私学校跡の碑 2011年 11月 1日
歌川芳虎、早川松山、四代目歌川国政、楊洲周延 の画 2011年 8月 17日
小林清親登場 2011年 8月 4日
ズームツールを導入。 2011年 8月 2日
山崎年信の作品 2011年 7月 14日
價六銭 2011年 7月 12日
西南戦争錦絵2作品追加 2011年 7月 8日
西南戦争錦絵美術館 開設 2011年 7月 6日
新島八重 2011年 6月 13日
朝鮮王室儀軌の変換 2011年 6月 13日
閲覧制限について 2011年 4月 26日
国会図書館システムリニューアル 2011年 4月 24日
日清戦争錦絵美術館オープン 2011年 4月 8日