田口 米作 たぐち べいさく
1864年(元治元年)誕生日不明 - 1903年(明治36年)1月18日
版画家、浮世絵師。小林清親の門人。姓・田口、名・米作。桜川と号す。栃木県に生まれ、1873年(明治6年)、上京し、初めは中村晩山、後に小林清親に入門した。父は、芝西久保で米屋を営んでいた。1896年(明治29年)、『團團珍聞』(まるまるちんぶん)に「江ノ島鎌倉長短旅行」という日本初の連載漫画を描いている。
主に風景画や、日清戦争を題材にした錦絵、『滑稽画談』などのポンチ絵を手がけた。日清戦争を描いた錦絵では、明治27年(1894年)作画「平壌玄武門兵士先登之図」(早稲田大学図書館所蔵)や明治28年(1895年)作画「日清戦争 忠勇美鑑 喇叭卒 白神源次郎氏」(石川県立美術館所蔵)などが知られている。『滑稽画談』は、明治28年(1895年)、團々社から出版された、長短之巻と四睡之巻からなる多色木版摺の和綴じ本であった。享年40才。墓は、台東区寿の威光院にある。法名は天真院覚道米作居士。
田口米作( 2010年11月17日 (水) 02:45 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8F%A3%E7%B1%B3%E4%BD%
9C
|