右田年英 みぎた としひで
114 劉公島官舎ニ丁汝昌遺書ヲ程壁光ヘ托シ衆ニ代リテ決死ヲ計ル圖
H021淺川騎兵大尉雙臺溝附近水師營二敵ノ大軍ト戦ヒ殊功ヲ樹ツ
文久3年6月17日(1863年8月1日) - 大正14年(1925年)2月4日)
明治時代から大正時代にかけての浮世絵師、日本画家。生年は文久2年(1862年)ともいわれる。
月岡芳年の門人。豊後国(現・大分県)海部郡臼杵村に生まれる。名は豊彦。通称は豊作。梧斎、晩翠楼、一穎斎などと号す。初め芳年について浮世絵を学び、また国沢新九郎の画塾に入り、油絵を学んでいる。「東京朝日新聞」などの挿絵を描き、錦絵では明治20年(1887年)頃から3枚続の「春遊三美人」(明治23年)などの美人画を描いていたが、その後、日清戦争、日露戦争などの戦争絵や新聞挿絵、役者絵などを制作した。また、明治22年(1889年)の青年絵画共進会に「福女団扇を執て立つの図」を出品したりもしている。大正5年(1916年)、脳溢血で倒れる。大正14年(1925年)、63歳で歿した。享年64。弟に右田寅彦(みぎた のぶひこ)がおり、門人に鰭崎英朋、河合英忠らがいる。
右田年英 2010年12月4日 (土) 10:02 (UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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