安達吟光 あだちぎんこう
西南戦争錦絵作品 鹿児嶋新聞 河尻本陣図
日清戦争錦絵作品 076 平壌大戰争之圖
FSG002_Captain Nezu and Iida Establish Connection
between the Army and the Navycitation
FSG007 Attack on Kinshû Castle
生没年不詳
明治時代の浮世絵師。
師系不詳。姓は安達、名は平七。初め松雪斎銀光と称し、明治7年(1874年)以降、吟光と改名する。真匠、松斎とも号す。作画期は明治3年(1870年)から明治33年(1900年)頃の間で、明治7年(1874年)には「講談一席読切」という大判錦絵50番続の役者絵を松雪斎銀光として描き、明治10年(1877年)に起こった西南戦争の錦絵の「鹿児島新聞・河尻本陣図」、「鹿児島新聞・熊本城戦争図」の辺りから活動が目立ってくる。また安達吟光と記して「東京名所」の作品がある。その後、壬午事変、日清戦争、義和団の乱、議会関係といった報道画ともいえる錦絵が続き、その他に役者絵、芝居絵、名所絵も描いている。また、「古今名婦鏡」や「貴女裁縫之図」などといった美人風俗画も良く知られている。
作品
* 「講談一席読切 鎮西八郎為朝 坂東薪水」 大判 東京都立中央図書館所蔵
* 「講談一席読切 織田右大臣信長公 市川左団次」 大判 東京都立中央図書館所蔵
* 「聯合軍北京城攻撃」大判3枚続 石川県立美術館 所蔵
* 「大日本帝国議会之図」 大判3枚続
安達吟光 2010年11月18日 (木) 21:33 UTCの版 『ウィキペディア日本語版』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E5%90%9F%E5%85%89
安達氏、俗称平七、初号を松雪斎銀光といひ、明治七年秋「講談一席読切」といふ大錦五十番続の俳優似顔絵を画きしが、其が中に「吟光」とせる画印を併用したる例あり、次で明治十年版の西南戦争絵には「真匠銀光」の落款を用ゐたり、後ち松斎吟光と改む。初めの居所は堀江町二丁目二番地なりしが、後ち京橋南鍋町一丁目に移れり。彼の役者絵は国周の影響を受けしものゝ如けれども、画系上の關係は明かならず、明治十年以後に於ける其が作品には、漸次描線の硬化を示し、且つ役者絵を廃して他の風俗画方面に向ひたり、錦絵と共に幾多の挿画本に筆を労し、凡そ明治三十年頃まで作画を続けたりき。
一説に彼の堀江町時代には煙草屋を営みしと云へり〟
『浮世絵師伝』p48(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
浮世絵文献資料館 より
http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/aiueo-zenesi/ki-zenesi/ginkou-adati.html
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